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5月2日、「馬があう」と題したオンラインセッションを開催致しました。パネリストは、学習院大学名誉教授の鶴間和幸先生、上賀茂神社権禰宜の藤木保誠さん、司会は上賀茂神社権禰宜で、心游舎理事の乾光孝さんです。「馬があう」は気が合うという意味の「馬が合う」と中国と日本の「馬が会う」をかけてあります。中国古代史がご専門の鶴間先生は、彬子女王殿下の恩師にあたられます。在学中に先生の講義で聞いておられた兵馬俑や馬車のお話をもう一度聞きたいと熱望されて、今回のセッションが実現しました。

まずは鶴間先生から、中国古代の馬のお話を。死後の始皇帝を守るために作られた兵馬俑には、馬車や御者もいます。先生は兵馬俑展などのときに、複製の馬車を組み立てた経験をお持ちです。4頭引きの馬車は、6本の手綱を御者が握って操っていたのだとか。帝政ローマの時代を描いた映画「ベン・ハー」で、ベン・ハーが4頭引きの馬車で戦うシーンがありますが、同じ4頭引きでも仕組みが違うのだとか。当時の馬は、背が170センチくらいで、今のサラブレッドに比べるとこぢんまりしています。日本の木曽馬と似ているそうですよ。時代が下ってくると、アラブ系の血が入ってきて、馬もシュッとした立ち姿になっていきます。

日本でも、古墳から多くの馬の埴輪が発見されており、古代から人間と馬は近い存在でした。彬子様のコラムにもあった通り、平安時代には端午の節句に宮中で競馬が行われていましたが、堀河天皇の時代に上賀茂神社に場所を移すようにと定められます。それ以来、上賀茂神社で競馬が行われるようになりました。藤木さんは、賀茂の社家の生まれ。未だに競馬に出場する乗尻と言われる騎手は、社家の人間だけなのだそうです。元々は、各地の荘園から馬が集められていました。馬を右方と左方に分けて走らせますが、最初は必ず左方が勝つようになっているなど、儀式的な要素もあるそうです。

「埒があかない」という言葉がありますが、これは賀茂競馬が終わり、馬場の周囲に張られた柵である「埒」が取り払われて、物事の決まりがついたということから、使われるようになった言葉なのだとか。

お2人のお話が面白くて、あっという間に1時間が経過してしまいました。いろいろな切り口からお話できる馬。第2弾をというお声が早速参加者の方からも届いています。

次回のオンラインセッションは、5月22日。昨年好評だったお茶のセッション第3弾。パネリストはお馴染み一茶庵宗家嫡承の佃梓央さん、万の徳淵卓さん、en teaの丸若裕俊さんです。毎回和気藹々とした雰囲気が人気のお茶セッション。今度はどんな面白いお話が飛び出すでしょうか。

 

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