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日本神話「大国主神の国づくり~葦原中国の平定(前編)」
7月30日(日)、第8回目となる日本神話オンラインセミナーを「大国主神の国づくり」から「葦原中国の平定(前編)」をテーマとして開催致しました。
彬子女王殿下に特別出演いただき、講師には立虫神社・万九千神社宮司でいらっしゃるオロチ先生こと錦田剛志さん、司会進行役を和樂ライターの高橋亜弥子さんに務めていただきました。
《神話の内容》
先ず、「大国主神の国づくり」では大国主神を助ける二柱の神が登場します。高天原に住む神産巣日神の御子でとても身体が小さい少名毘古那神、身体は小さいですが、智恵と行動力に富んでいて、大国主神と共に農耕・漁労・医薬の法など人間が暮らしを営むために必要な様々な技術・方法を授けてくださいました。
その少名毘古那神が突然に常世国へ去ってしまい、途方句に暮れる大国主神の前に海の彼方から光り輝きながら現われ、「私を鄭重にお祀りすれば、国づくりは上手くいきます」と告げた神、これが「大和国の御諸山に坐す神」で、奈良県の三輪山を神体山として鎮まる大神神社の御祭神の大物主神です。
こうして大国主神たちによって国づくりがおこなわれて、葦原中国は高天原から見て「豊葦原千秋長五百秋水穂国」と呼ばれる美しい国へと調えられました。
天照大御神は、「この豊葦原千秋長五百秋水穂国は、私の御子神が治めるべき国である」と言って、正勝吾勝勝速日天忍穂耳命に葦原中国の統治を命じましたが、天忍穂耳命は地上世界が騒がしく物騒であるとして天降りを嫌がりました。
このため、八百万神が相談して天菩比神と天若日子がそれぞれ葦原中国の神々を従えるため派遣されましたが、大国主神と親しくなった天菩比神は3年、葦原中国を我がものにしようと企んだ天若日子は8年経っても何も報告をしませんでした。高天原では、特に天若日子から報告が無いことを怪しんで、雉(鳴女)を遣わし、その理由を問い質すことになります。
《神話からわかる事》
錦田さんの解説では、「国づくり」において、大国主神と一緒に国作りをおこなったのが身体の小さな少名毘古那神だったことに、とても重要な意味があると言います。例えば、島根県雲南市の加茂岩倉遺跡からは国内最多となる39個の銅鐸が出土しましたが、それらはすべて大小1組(1重ね)の状態で埋納されていました。古代の人々は、大きいものと小さいものが一緒になることで何か特別な力が現われたり宿ったりすると考えていたのではないかと言います。
また、天若日子が8年経っても戻らない理由を問い質すために雉(鳴女)を遣わしますが、これも古代の人々にとって鳥は「願いを届ける神の使い」や「異世界間を繋ぐ使者」、「死者の霊魂を運ぶ使者」として特別視されていたと言います。銅鐸に鳥の彫物が施されていたり、鳥の姿を象った埴輪が古墳から出土していることも、それを物語っていると言います。確かに、天の石屋神話では常世之長鳴鳥、神武天皇の東征では八咫烏がそれぞれ重要な役割を果たしますので、鳥には何らかの特別な力が宿っていると信じられたと考えられます。
また、神社の祭礼で神職が身に着ける袍は、両手を広げたときの姿が、鳥が翼を広げた姿に似ていることも関係あるのではと錦田さんは指摘されていました。
《次回へ》
最後は、参加者全員で「大国主神の国づくり」の段を朗読、今回のお話には、案山子や蟇蛙、雉など身近な動物や物が登場しました。何故、動くことの出来ない案山子が天下の事柄をすべて知っているのか。雉が使者として選ばれた理由は何故か、など参加者の興味を引いたようです。また、日本神話では鳥が重要な役割を担うことが度々あり、古墳からの出土品にも鳥が飾りとしてあしらわれていることと関係があるのではないか、との質問もあり、神話を通じて日本史や考古学についても考える機会となりました。
次回は、雉(鳴女)が天若日子のもとへ遣わされてからのお話です。天若日子は素直に詰問に答えるのか、豊葦原瑞穂国を天忍穂耳命に治めさせたいとの天照大御神の御意向は円滑に進行するのか。まだまだ見所がたくさんある日本神話、9月2日(土)を楽しみにお待ちいただけたらと思います。

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