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724日、上賀茂神社において、オンラインセッション「月見る月はー嘉祥菓子と月見饅」を開催いたしました。早稲田大学特命教授のロバート・キャンベル先生、虎屋文庫の相田文三さんをお迎えし、司会はホームゲームのせいか、無茶ぶりも冴えわたる、上賀茂神社権禰宜で心游舎理事の乾光孝さんです。

旧暦616日は、疫病を除けるために16の菓子を神前にお供えし、食べるという行事が行われていました。この日の夜、16歳の子女がいる家では、月見が行われました。16歳の子がお饅頭に穴を開け、その穴から月を見て、その間に「袖止め」という袖を切る作法をするというのが成人儀礼だったのです。虎屋では、万延元年(1860)616日に「御月見御用」として和宮様から月見饅の注文があった記録が残っています。

和宮様は、江戸に下向される直前に、上賀茂神社に参拝されており、また徳川家茂も孝明天皇が攘夷祈願のために上賀茂神社に行幸されたときに供奉しています。その際に家茂が使われたという馬場殿を背景に、上賀茂神社境内の芝生からの中継という、とても贅沢な機会となりました。

まずは、相田さんから嘉祥菓子の説明をして頂きました。宮中では、小麦粉や砂糖などを臣下が賜り、それでお菓子を作って献上するという習慣があったそうです。16を分け、1+6で、7種類のお菓子を作るのが一般的だったとか。対して江戸幕府では、616日には、お目見え以上の大名・旗本が総登城し、「嘉祥頂戴」として菓子を与えるという行事が行われました。同じ嘉祥の日でも、朝廷と将軍家ではやり方が異なっているのが面白いですね。

キャンベル先生は、秘蔵の史料をお持ちくださり、近世の人たちが、集まって食べたり飲んだりすることにどのような意味を見出していたのか、お餅をカビさせずに保存する方法など、どのように心を配っていたかなどを、わかりやすく解説してくださいました。中には、京都の桟敷席に当時の文化人たちが集まって宴会している絵があったのですが、そこには「虎屋」の文字が。もしかすると、ずっと前の虎屋のご主人かもしれません。

彬子女王殿下は昨年、この月見饅の儀礼についてお知りになり、ぜひやってみたいと160年ぶりに虎屋に月見饅を注文されました。中秋の名月の日に、お饅頭からの月見をされたそうですが、自分と月しかここにはいないのではないか、と思うような素晴らしい経験だったとか。ぜひこのことをもっとたくさんの方たちに知っていただきたいと今回の企画をされました。

今回は、せっかくなので月見の行事を再現しようということで、心游舎がいつもお世話になっている伊藤信カメラマンの16歳のお嬢さん、伊藤更紗ちゃんにモデルをお願いしました。淡い朱鷺色の美しい袿装束に身を包んだ更紗ちゃんが、田中安比呂宮司様に手を取られて登場。三方にお供えされた月見饅に萩のお箸で穴を開け、「月々に月見る月は多けれど月見る月はこの月の月」という歌を三回唱えながら月を見ます。その間に鬢親役の宮司さまが、袖を切る所作をされました。

残念ながら、セッションの時間内には思った位置に月が出ず、木の間に覗いた月の影を見ながらのお別れとなってしまいましたが、終了後に上がった美しい満月には、会場から歓声が上がりました。

廃れてしまった行事には、時代にそぐわなくなったもの、行う意味がなくなったものなど、様々な事情がありますが、こうして再現してみると、新たな景色が見えてくるものもあるなと思いました。16歳は過ぎてしまった方でも、ぜひお饅頭の穴から月を覗いてみてくださいね。

次回のオンラインセッションは、88日。オロチ先生でお馴染み、錦田剛志さんによる神楽のセッションです。錦田さんの神楽は、歌も舞もしびれるほど素敵なんですよ。楽しみにしていらしてくださいね。

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