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ご報告が遅くなってしまいましたが、1113日に日本刺繡をテーマにしたオンラインセッションを開催いたしました。講師は京繡の伝統工芸士の長艸敏明先生、司会は和樂ライターの新居典子さんです。彬子女王殿下とは、ご親戚のように親しくされている長艸先生。いつものお付き合いが垣間見えるような和気あいあいとしたセッションになりました。

まずは、日本における刺繍の歴史のお話から。日本に残る最古の刺繍は、聖徳太子の妃の一人である橘大郎女が、聖徳太子の死を悼んで作ったと言われる天寿国繍帳(てんじゅこくしゅうちょう)です。聖徳太子が死後に向かった世界、天寿国(極楽浄土)の様子を刺繍で表現した帳(とばり)で、中宮寺に所蔵されています。橘大郎女や采女たちによって刺繍されたと考えられていますが、鎌倉時代に発見され、残存部分をつなぎ合わせて現在に伝えられています。興味深いのは、鎌倉時代に修復された部分はボロボロになってしまっているということ。オリジナルである飛鳥時代の部分の方がしっかりと残っています。これは、鎌倉時代に縒りが甘い糸で修復したのが原因なのだそうです。長艸先生は、20年以上かかってこの天寿国繍帳の復元に取り組んでおられますが、まだ道半ばなのだとか。

長艸先生によると、「刺繍は祈り」なのだそうです。天寿国繡帳もそうですし、繍仏(しゅうぶつ)といって、人の髪の毛を縫い込み、仏の姿を刺繍で表したものもあります。戦時中によく作られた千人針もそうでしょうか。一針一針思いを込めながら縫うことで、それが祈りとなり、人の力となるのでしょう。

平安時代は織の衣服が主となりますが、武士の時代になると小袖への刺繍が盛んになります。能装束などにも刺繍が施されていますが、これはもともと能楽師への褒美として、武士が自分の小袖を与え、その小袖を身に着けて舞ったことによるものです。徳川秀忠の娘である東福門院が入内すると、1年に300枚もの着物が注文され、京の町は大いに潤ったと言われています。

現在は、祇園祭の懸装品の復元新調などを手掛けられる長艸先生。今取り組んでおられるものは、納めるまでに9年かかるのだそうです。背景の金糸を一針一針一往復半するだけで1日が終わるとか。手が変わってしまうので、一面は一人で縫い上げなければなりません。本当に大変な作業ですが、こういった一つ一つの仕事が日本の文化を下から支えているのだと実感しました。

次回のオンラインセッションは今週の土曜日。1120日に、変態漆作家の若宮隆志さんと心游舎オリジナル飯椀をテーマにしたトークセッションを開催いたします。新嘗祭が近づいてきた今、漆の器でご飯を食べることの意味を考えてみませんか?

 

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