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運動会や文化祭なども復活してきているようで、街中でにぎやかな声を聞く機会も増えてきました。京都も観光客が随分と増え、外国人観光客の姿も見かけるようになりました。新型コロナウィルスの感染が始まった頃、観光地から全く人が見えなくなったときのことを思い出すと、日常が戻りつつあるのだとうれしくなります。
今回のコラムは、出雲大社権禰宜の長田圭介さんです。心游舎の神話セッションのサポートをいつもしてくださっている長田さん。作ってくださるレジュメがいつも充実していて、ついつい詠み込んでしまいます。コラムも神話とかかわりの深い和歌のお話。今年度最終回となる神話セッションは月末です。
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~歌謡と和歌~
八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を
八岐大蛇を退治した須佐之男命が、出雲国須賀の地(現雲南市大東町須賀)を櫛名田比売と住む宮殿を営むことを定めた折に詠じた歌で、『古事記』・『日本書紀』に収められています。『古今和歌集』仮名序において「素戔嗚尊より、三十文字あまり一文字は詠みける」と評されるように、「五七五七七」の音数で表される和歌(短歌)はこれをはじまりとします。
「八雲立つ…」のほかにも、『古事記』には計113首、『日本書紀』に128首収められており、これを総称して「記紀歌謡」と呼びます。『古事記』神代巻(上巻)には「八雲立つ…」を含め9首収められていますが、大国主神に関わる詠歌も5首あり、そのうちの1首を紹介します。
八千矛の 神の命や 吾が大国主 汝こそは 男に坐せば 打ち廻る 島の埼崎
かき廻る 磯の埼落ちず 若草の妻持たせらめ 吾はもよ 女にしあれば 汝を除て
男は無し 汝を除て 夫は無し 綾垣の ふはやが下に 苧衾 柔やが下に 𣑥衾
さやぐが下に 沫雪の 若やる胸を 𣑥綱の 白き腕 そだたき たたきまながり
眞玉手 玉手さし枕き 百長に 寝をし寝せ 豊御酒 奉らせ
この歌は、須勢理毘売が御酒で満たした盃を捧げながら、夫である大国主神への想いを歌に詠まれたもので、この後、二柱の神は盃事(盞結)を交わして末永く仲睦まじくあることを誓い合われました。その歌意は「大国主神よ、あなたは葦原中国の津々浦々を巡って様々な場所で若く美しい妻を娶ったことでしょう。しかし、私には夫はあなた一人だけですから、どうか柔らかく心地の良い寝具の中で、私の胸や腕に優しく触れ、私の腕を枕としてゆっくりお休みください。どうぞ、この御酒を召し上がってください」というものです。気づかれた方もいると思われますが、この「八千矛の…」は音数(字数)が「和歌」の五音・七音の繰り返しではなく、数えてみると「五七八四六四…」であることが分かります。「和歌」といえば「五七五七七」の三十一音(文字)を定型とする短歌ですが、ほかにも長歌(五七を3回以上繰り返して七で終る)や旋頭歌(五七七を2度繰り返す)などがあり、五音と七音の節句によって歌は詠まれていました。この和歌の定型に当て嵌まらない「記紀」に収められた歌は、日本の最も古い歌の姿を現在に伝えているものと言えます。
そのことは『古今和歌集』仮名序が「ちはやぶる神代には、歌の文字も定まらず、素直にして、事の心分きがたかりけらし」(神代には詠まれた歌は字数が定まらず、感情のまま詠んだものだから、その意味も分かりづらい)と述べ、「人の世となりて、素戔嗚尊よりぞ、三十文字あまり一文字は詠みける」(人の世となって、素戔嗚尊の詠歌に由来する三十一文字(音)の歌が詠まれるようになった)と述べることにも明らかです。須勢理毘売が詠まれた歌も『古今集』仮名序に「素直にして」とあるように、心に浮んだ思いをありのまま歌に込められたと言えます。
また、「歌謡」と「和歌」の大きな違いはそれを言葉に発するとき「歌う」か否かにあると言います。「歌」や「歌う」は「打つ」を語源とし、「言霊によって相手の魂に強い揺さぶりや影響を与える」ことを意味し、「力を入れずして天地を動かし、目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ、男女の仲を和らげ、猛き武士の心をも慰むるは、歌なり」(『古今集』仮名序)に通じるものがあります。
記紀歌謡は、神話や歴史の重要な場面で、当事者である神々や天皇などがそのときの心境を正直に歌に込め告白したものであり、記紀の記述だけでは読み取れない部分を補い、物語をより豊かなものにしてくれると言えます。やや難解な内容が多く読み疲れるかと思いますが、興味を持たれた方は一度読んでみてはいかがでしょうか。