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暑さの中にも、秋の気配を感じるようになってきましたね。京都では、五山の送り火が終わると、急に秋の空気になってくる気がします。夏の雲と秋の雲が同居する空を見られるのもあと少しでしょうか。
今回のコラムは、江戸文字書家の橘右之吉さんです。秋の風を感じるような、秋の七草のお話。ただきれいなだけではなく、いろいろな効能もある秋の七草。また違った視点で楽しめるようになりそうです。
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私の工房前、湯島天満宮のお庭に、梅雨明けから桔梗が「時は今」とばかり、薄紫で星型の花を付けている。
秋の七草は、万葉集に載る、山上憶良が詠んだ歌に由来すると教わった。
「秋の野に 咲きたる花を 指折り(およびおり) かき数ふれば 七種の花」
「萩の花 尾花 葛花 瞿麦の花 女郎花 また藤袴 朝貌の花」
当時は今と違い「朝貌」が「桔梗」を指していたそうだ。
秋の七草は、食べられる春の七草に比べ、今一つ認知度が薄いが、日本の秋を彩る草花だ。
「ハギ、キキョウ、クズ、フジバカマ、オミナエシ、オバナ、ナデシコ秋の七草」と、春の七草の「セリ、ナズナ、ゴギョウ〜」と同様、五七五七七で、調子良く覚えられる。
ハギは「秋に咲く花」の意で、草冠に秋の文字をそのまま充て「萩」。「荻(おぎ)」はハギとは別物で、間違えて書いて赤面、大汗をかいたことがある曰く付きの文字だ。
秋彼岸の食べ物「おはぎ」は萩に由来するが、春彼岸は「おはぎ」と呼ばず、同じものでも「牡丹餅」と言い換える。
夏の名乗りは「夜船」。夜船は着いた(搗いた)のがわからないところから。冬の「北窓」の名は、月が見えない、「搗き(月)が無い」の意。黒い餡の上に一筋の砂糖を振って「雪が振り込む窓」に見立てたものもあるが、いずれも「おはぎ」の異名だ。
先人の季節を織り込んだ見立ては巧みで、和菓子の名前は、それこそ味な趣向だ。
キキョウの花から生まれたのが「桔梗紋」、歌舞伎「時今也桔梗旗揚」の明智光秀ら土岐一族の家紋だ。平安の昔の陰陽師・安倍晴明が呪符に用いたとされる、五芒星と呼ばれる、星形の「晴明桔梗判」も、元はキキョウの花がモデルとされる。
キキョウの根には毒があるそうだが、漢方では薬草だそうだ。
クズの根からは、くず湯、くず餅、くず切りなどの和菓子の材料となり、落語に出てくる薮医者は、どんな患者、症状にも「葛根湯をお飲みなさい」と処方するが、実は立派な漢方の風邪薬「葛根湯」の元になる。
オールマイティなのに「クズ」の名はなんとも気の毒だ。
フジバカマはその強い香りから、昔の公家、殿上人は「香水蘭」と呼び、入浴剤として湯に入れ、衣服に付け、また髪飾りにしていたという。汗臭さや加齢臭が気になったのだろう。
オミナエシは「女郎花」の文字を充て、恋に敗れ淵川に身投げした女の、脱ぎ捨てた山吹色の衣が、いつしか黄色い花になったという伝説がある。
オミナエシに似た白い花をつける、より逞しい「オトコエシ」という草があり、「男郎花」の文字を当てていると、図らずも最近知った。
オバナは草が茂る様子から「薄(ススキ)」と呼び、穂が出ると動物の尾に見立てて「尾花」。茅葺きに使う時は「伽耶(かや)」の名を当てているとも聞く。
一般に知られている「幽霊の正体見たり枯れ尾花」の元句は、江戸の昔、太田蜀山人が感心し自著の「鶉衣」に残した俳人・横井也有の句と言われる。
当時、横井也有が上方で巨匠と呼ばれる俳句宗匠と、席を同じくした折に、「化けの皮を剥ぐと、評判ほどではない」と感じたか、句に詠んだのが
化け物の 正体見たり 枯れ尾花
こき下ろされた宗匠は、いい面の皮だ。
ナデシコは平安時代に中国から日本に渡来し、季節を問わぬ四季咲きから「常夏」の名もあり、江戸時代になると盛んに栽培され、品評会の「花合せ」が開かれ、明治の頃には番付や専門書も出る程の人気だったという。
今はサッカーの「なでしこジャパン」に、お株を奪われているが、可憐な本物の「大和撫子」もゲームのたびに思い出してやりたい。
近年、SNS上では「笑い」の表現で使われていた「W」が、形が生い茂った草に似ているところから「草」の文字が当てられ、「受ける」、「面白い」の意で若い人に使われるようになった。
意図せずに昔からある「見立て」になっているなと感じる昨今。