オンラインショップ

会員ページ

6月になりました。カレンダーをめくると、夏至の文字が見え、最近日が長くなったことを感じていたのに、もうこれから短くなっていくのかと、時間の流れる速さを感じる今日この頃です。
今回のコラムは、トロンボーンを吹く童顔ということで、「トロンボーヤ」と命名された上賀茂神社心游舎担当権禰宜の米山裕貴さんです。京都産業大学での授業に来るときは、スーツを着ているにもかかわらず、守衛さんに「学生は車で来たらだめだよ!」と注意されるトロンボーヤですが、顔の印象とは違って仕事は速いのです。今年も汗をかきながら、賀茂祭でもしっかりお仕事されていました。


「葵祭はございますか?」
殿下より「トロンボーヤ」を拝命以来、気づいたら1年が経ちました。「トロンボーヤ」2年目の賀茂別雷神社 権禰宜 米山裕貴と申します。
「葵祭はございますか?」とここ3年間、この質問をよく受けます。この答えは「勿論、ございます」。ですが、この質問はあることがきっかけでないかと考えます。
そもそも「葵祭」という名称の方が親しまれていますが、「葵祭」という名称は通称名であり、正式名称は「賀茂祭」でございます。この賀茂祭とは賀茂別雷神社(上賀茂神社)・賀茂御祖神社(下鴨神社)で斎行される「社頭の儀」、京都御所から下鴨神社、下鴨神社から上賀茂神社までを行列を為して練り歩く「路頭の儀」、この大きく2つの儀式で成り立っております。この「路頭の儀」は、平安絵巻が目の前に繰り広げられる為、沢山の方々が「賀茂祭」=「路頭の儀」と思われている方が多くいらっしゃると思います。
令和元年に斎行後、「路頭の儀」は本年の令和4年まで3年連続で中止となっております為、「賀茂祭」も無いと思われ「葵祭はございますか?」という質問が寄せられると思います。「賀茂祭」の「路頭の儀」が3年間中止ですが、その3年間も勿論、賀茂別雷神社・賀茂御祖神社に於いては「本殿祭」と「社頭の儀」が毎年斎行されており、賀茂別雷神社に於いては、この3年間、総裁をお勤めになられている彬子女王殿下にも畏くも御臨席賜っております。今回はこの先月に斎行された「賀茂祭」を紹介させて頂きます。
「賀茂祭」とは今から約1,500年前に始まったとされる、現在の暦で毎年5月15日に賀茂別雷神社・賀茂御祖神社で斎行される例祭(最も重要なお祭り)です。この「賀茂祭」は八坂神社の祇園祭・平安神宮の時代祭とあわせて京都3大祭と言われております。また、この「賀茂祭」は古来より様々な書物の中にも取り上げられ、『源氏物語』にも取り上げられています。『源氏物語』が書かれた平安時代では単に「まつり」と書いていたら、「賀茂祭」のことを示していたり、現代の辞書において「まつり」と調べると、意味のひとつとして「賀茂祭」が紹介されております。この「賀茂祭」は両賀茂社の社殿に葵の葉と桂の枝で奉製された葵桂を飾り、お祭り奉仕者や行列・お祭り参加者等にも葵桂を身に付けることから江戸時代中期より「葵祭」と呼ばれるようになったと云われております。
なぜ「賀茂祭」では葵桂を飾ったり、身に付けるのか?その答えは賀茂別雷神社の創建の神話に求められます。神話の中で賀茂別雷神社の父神様を探す場面があり、その父神様は天にいらっしゃるということで、賀茂別雷神社の御祭神(賀茂別雷神)が天へ昇ってしまわれます。一方、地上では祖父神様(賀茂建角身命)と母神様(賀茂玉依姫命)は、賀茂別雷神が天からの帰りを待っても全く帰ってきません。もう一度、会いたいと祖父神様、母神様が強く願っていると、母神様の夢の中で賀茂別雷神が現れ、「私にもう一度、会いたかったら、立派な衣装を作り、馬を走らせ、葵桂を飾り、祭をして待っていてくれれば私はまた地上に帰ってきます」とおっしゃいます。
時代は流れ、欽明天皇の時代に日本国中が風水害にあい、その原因を占ったところ、賀茂の神様が怒っているとわかり、この地で神話を再現するが如く葵桂を飾って盛大なお祭りを斎行すると、五穀豊穣になりました。この神話と欽明天皇の時代に行った祭が現在でも斎行される「賀茂祭」の始まりと言われております。また、この葵という語は万葉かなで「あふひ」と表記され、「ひ」が神様・「あふ」が会うという意味が込められていて、続けて意味を重ねると「神様にあう」となり、葵は神様と人々を結ぶ力を持ってることから神話でも葵を飾ったのではないかと考えます。
この「賀茂祭」は「社頭の儀」・「路頭の儀」の2つの儀式から成り立つというお話をしましたが、「社頭の儀」は勅祭、天皇陛下のお使いが神社に派遣され斎行されるお祭りです。天皇陛下の「国家安泰・国民の安寧」の祈りを「勅使」が社頭で代わりに祈願するお祭りが「賀茂祭」であり、その祈りは平安時代より現在まで毎年、同じ日に絶えることなく執り行われています。
但し「社頭の儀」は間近で参列出来る方が両賀茂社共に限られておりますので、多くの方の関心は「路頭の儀」でしょう。この行列は約500名の奉仕で、その行列の長さは1㎞、行列1人目が横切り、すべての行列が横切るのは、おおよそ1時間程と言われております。その中の「斎王代」は「賀茂祭」のヒロインであり、その姿は十二単衣をまとう平安絵巻の象徴で毎年どなたが選ばれるかを楽しみにされており、その心情は『源氏物語』車争いの時代から何ら変わりません。このように祭としての中心は「社頭の儀」である事は疑いようもありませんが、「賀茂祭」の文化は何れか1つだけで語れるものではなく、両儀式が揃って完成する事は言うまでもありません。新型コロナウイルスが落ち着き、この「路頭の儀」が欠けること無く、本来の「賀茂祭」が斎行される日を強く願うばかりです。