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少しずつ春めいた陽気になってきましたね。この週末からぐっとあたたかくなるとか。菅原道真公の御命日にあたる今日、北野天満宮では梅花祭が斎行されました。二年ぶりに境内の梅苑で北野大茶湯も行われ、芸舞妓さんたちが感染症対策を行いながら、野点をされていました。参加者の方たちが一様にうれしそうなお顔をされていたのが印象的でした。
今回のコラムは、北野天満宮のお膝元、西陣で生まれ育った、京繡の伝統工芸士である長艸敏明先生が、普段の軽妙な語り口そのままに書いてくださいました。職住一体の刺繍職人の家で育たれた長艸先生。仁義を切って仕事をもらいに来る職人さんがいたなど、今では映画の中くらいでしか見ることはありませんが、そういったことが日常としてあったのだなぁと、改めて京都の職人の世界の奥深さを知った思いです。
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京都の北野天満宮の近く西陣で生まれ、育ち、そのまま親父の仕事を継いで現在73歳。子供の頃は自宅兼仕事場に何人かの職人さんと一緒に暮らしていました。小学校4年位から、家業が刺繡の仕事だと言う事を認識しました。家では、相撲取りの化粧回しや舞台の緞帳の仕事、旗、幕や着物や帯、ショール等色々な刺繍の仕事を手掛けて、絵描きさんも何人かおったそうですが、記憶に有りません。
幼稚園児の頃、ある日の午後に御免なさいと知らないオジサンが入って来て、玄関先で手を前に出して、昔の映画の渡世人のような仕草で、「親方さん、刺繍の仕事は有りませんか」と仁義らしき口上を聞きました。多分昭和二十九年頃か?二回見ましたが、何故か怖かったです。親父に聞くと、「渡りの職人や~」と云う事でした。つまり祭りの胴掛け(水引幕)等の刺繡は、何人かのグループで、一年、二年で完成します。その間だけ、日雇いの職人の確保のために流れてくる職人なのです。針と鋏だけ腰に巻いています。昼間仕事をして賃金を貰い、夜は博打か遊郭(五番町)か酒を飲むかです。渡り職人は江戸時代・明治・大正とほとんどの職種に見られる事で、料理人等もそうです。
そして現在、私共は祇園祭の飾り幕(水引幕)を文化庁と京都府・市の依頼で続けています。祇園祭巡行最後の大船鉾の飛龍の幕です。九年掛かります。その前は放下鉾、その前は占出山(三十六歌仙)と北観音山(関帝祭行列)。殆どが江戸時代の刺繡幕の復元新調です。北観音山は八年の歳月で完成。お披露目はホテルオークラのロビーで行い、大勢の人が観に来られました。心游舎総裁の彬子女王殿下に英語表記の説明文を手伝って頂きました。誠に頼もしき助っ人で御座います。
現在、世界中が困っている時期ですが必ずコロナも収束する事を信じて、この時期にゆっくり考えた作品創りに力を注ぎ、準備をしております。我々の仕事は毎日黙々と淡々と同じことの繰り返しです。世の中の情勢に惑わされる事なく自分の役割を淡々と続けてまいります。