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北陸地方では春一番が吹いたようですね。早春の頃に吹く南風の強風のことを春一番といいます。その後の同じような風も、春二番、春三番と言うそうです。春一番の吹いた翌日には、また北風が吹き、寒さが戻ることが多いですが、こうして三寒四温を繰り返し、春になっていくのでしょうね。
今回のコラムは、出雲大社権禰宜の長田圭介さんです。心游舎でも、大寒の時期に稲佐の浜での禊(海には入りませんでした)やキッズキャンプでの禊など、何度か皆で体験をしました。水を浴びる前に、鳥船といういわゆる準備運動をしたり、和歌を唱和したりするのですが、雄健(おたけび)行事と言うのもあります。腰に両手を当てて仁王立ちの体勢になり、「いくーたまー!(生魂)」「たるーたまー!(足魂)」「たまーたまるーたまー!(玉留魂)」と叫ぶのです。おなかの中から悪いものが出ていくようでとても気持ちがよく、彬子女王殿下はキッズキャンプの後もよく「いくーたまー!」と叫んでおられました。なかなか大声が出せないご時勢ですが、いつでも心の禊は忘れないようにしたいものです。
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「禊の話」
先日、出雲大社をはじめ島根県内の若手神職が毎年おこなっている大寒禊についてご紹介いただいたので、私も禊について少しお話したいと思います。
禊は、黄泉国から帰還した伊耶那岐命が、彼の地でまとった穢れを祓うために「筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原」で禊祓をしたことを起源とし、その時に天照大御神・月読命・須佐之男命の三貴子が誕生したことはご存知の方も多いと思います。『万葉集』に「君により言の繁きを故郷の明日香の川に潔身しに行く」や「久方の天の川原に出で立ちて潔身てましを」とあるように、古くから川や海の綺麗な水で体を洗い滌ぎ祓い清めることを目的としておこなわれました。また、神事奉仕に先立つ心身清浄を図る潔斎の重要行事でもあり、歴代天皇が御即位後最初におこなう新嘗祭である大嘗祭でも「大嘗会の御禊(ごけい)」と呼ばれる行事があり、平安時代以降、大嘗祭に先立って天皇は賀茂川(鴨川)へ御幸されて禊をなさいました。
現代では、神職の心身鍛錬を目的とした錬成行事として定着し、出雲でおこなわれる大寒禊をはじめ、全国的にも真冬におこなわれる例が多くありますが、「七夕は天の河原をなゝかへりのちの晦日を禊にはせよ」(『後撰和歌集』)、「みそぎ川流れて早く過ぐる日の今日水無月は夜も更にけり」(『続後拾遺和歌集』)と、平安・鎌倉時代には旧暦六月晦日頃の行事として六月祓(みなづきばらえ)や名越の祓(なごしのはらえ)と言って、一年の半分の罪穢を祓い落とす行事でした。また、『新勅撰和歌集』に「風そよぐ楢の小川の夕暮はみそぎぞ夏のしるしなりける」(藤原家隆)とあって、「六月祓の禊こそが夏の証である」と詠まれています。因みに歌にある「楢の小川」は京都・上賀茂神社の境内を流れる御手洗川を指し、葵祭(賀茂祭)に先立ち斎王代が御禊の儀をおこなう場でもあります。
学生時代や神職として奉仕するようになってからこれまでに、様々な状況での禊を経験してきました。はじめての禊は、伊勢市二見ヶ浦の二見興玉神社で六月二十一日夏至の早朝におこなわれたもので、海水に浸かりながら海上から昇る日の出を拝したときの感動は今でも覚えています。また、奉職一年目には六月三十日午前零時から同期や大社國學館生徒と共に大祓詞を百回奏上、その後の満身創痍の中でおこなった八雲滝での禊、心游舎キッズキャンプで参加者全員でおこなった禊、いずれの禊も印象深い出来事として記憶に残っています。それは、普通では体験出来ない経験をしたこともですが、大勢の人々と一緒にそれをおこなうことも大きく関係しているように思います。現在の禊修法は明治になって定められたもので、冷水への入水前に鳥船や振魂・雄健・息吹といった各行事を道彦と呼ばれる先導者に倣って全員でおこないます。この大勢で一つの目的のために同じ行為をすることで得られる一体感、あるいは高揚感や達成感といったものが、今日の禊にとって重要な意義を持つように思います。
それは神話に由来する本来の意義とは異なりますが、従来の身体の清浄潔斎にもう一つ、精神的昂揚を通じて感奮興起の念を招じさせてくれると言えます。来年の大寒は是非とも大勢集っての禊が出来ることを願っております。