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1年のうちで一番寒さが厳しい大寒の時期らしい毎日が続きますね。大寒の時期には、各地の神社などでは「大寒禊」が行われたりします。出雲大社では、40歳以下の神職さんは強制参加(例外もあるらしいですが)、稲佐の浜で大寒の日に禊をするそうです。大社から裸足で稲佐の浜まで歩き、海に入って祓詞を唱えながら海水を浴び、禊をするのですが、海水の方があたたかく感じるそうです。冷たさで感覚がなくなって、自分のふんどしが取れて流れていることに気付かなかったり、かかとに釘が刺さっていたことに気付かなかったり、毎回逸話が生まれるのだとか。
心游舎理事の森川太郎さんも、この大寒禊に参加されたことがあります。いろいろなことに挑戦するのが大好きな森川さんが珍しく、「すごくいい経験だった」とは何度も言いつつ、「また行きたい」とは絶対に口にしなかった大寒禊。過酷さは推して知るべし。です。
今回のコラムは、そんな稲佐の浜も登場する神話セッションの司会をいつもお願いしている和樂ライターのめがちゃんこと、高橋亜弥子さんです。書き残すことも大切ですが、語り継ぐことも忘れてはいけませんよね。それが人の思いを未来につなぐということです。2月5日にはめがちゃん司会の日本神話講座、今年度の最終回が開催されます。お楽しみに。
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言葉をつなぐ
心游舎のオンライン講座「日本神話」の司会をしながら、『古事記』をみなさんと一緒に学んでいます。『古事記』は、現存する日本最古の書物。天武天皇の命で、稗田阿礼が神代の創世の神話から推古天皇の時代までの記録を暗誦し、それを太安万侶が筆録して編纂したというのが、よく知る『古事記』の成り立ちです。
しかし、ここで補足があります。天才的な記憶力をもつ稗田阿礼と太安万侶のコンビによって、『古事記』は順調に完成したのかと思いきや、実は、天武天皇が崩御されたあと、作業はしばらく中断。のちに元明天皇の命によって、ようやく完成に漕ぎ着けたそうなのです。稗田阿礼が内容を覚えていてくれて、本当によかった! 『古事記』を大切なものとして守りつなげてくれた人たちがいてくれて、よかった! 現代を生きる私たちが、1300年前に書かれた『古事記』を読むことができる奇跡。言葉を残すのは簡単のようでいて、実は、とても難しい。ほとんどの言葉は、時間の流れの中で、いつの間にか忘れ去られ、消えていきます。
私は、編集者・ライターとして雑誌や書籍をつくる仕事をしていますが、近年5年ほどかけて、ある企業の創立100周年記念の社史を編集したことで、記録を残すこと、アーカイブすることの意味をあらためて考えるようになりました。100年間分の記録をまとめるにあたって、多くの人に話を聞きましたが、同時に過去に書かれた文字資料にどれほど助けられたかわかりません。それを考えると、今回、自分たちが残した記録は、50年後、100年後、だれかの必要となるときがくるかもしれない、と思ったのです。雑誌や書籍の仕事も、“今、ここにある言葉を残す” ことに意識が向くようになりました。もしかしたら、いつか、だれかが、必要とする言葉を残しているのかもしれない、と。
私の仕事は、パソコンで文章を書いたり、雑誌や書籍の紙のページと向き合ったりしているときは二次元的で、本という“物”をつくるのは三次元的。それに加えて、過去を記録し直したり、現在を記したりして、未来へつなぐことを考えると、なんとも四次元的だと気づきました。
余談になりますが、最近、読んだ本を紹介します。『清少納言を求めて、フィンランドから京都へ』(ミア・カンキマキ著、末延弘子訳/草思社)は、フィンランド人である著者の女性が清少納言の『枕草子』と出会って、ヘルシンキから京都を訪れる長編ノンフィクション。著者は、清少納言のことを親しい友人のように「セイ」と呼び、『枕草子』に書かれている思いに共感し、それを軸にして、自分自身の人生の新たな扉を開いていきます。平安時代に清少納言の残した言葉が、21世紀の一人のフィンランド人女性の気持ちと響き合う。時代も場所も超えるつながりは、まさに四次元的で、光り輝くような一冊でした。