1月6日に東京では数年ぶりに10センチ以上の積雪があり、とても寒い一日となりました。1月7日は人日の節句でしたが、皆さん七草粥は召し上がりましたか?「明日よりは春菜摘まむと標めし野に昨日も今日も雪は降りつつ」という山部赤人の歌がありますが、まさにこの光景が目に浮かぶようでした。
今日のコラムは、新しい心游舎理事の伊藤真実子さんです。彬子女王殿下の学習院大学時代の先輩にあたり、彬子さまが「頭が上がらない」くらいお世話になっておられるのだとか。伊藤さんのニックネームは「女帝」ですが、その由来はこの場ではヒミツとのことです。伊藤さんは三歳の頃にプラシド・ドミンゴを聞いて以来のオペラファン。今回は、そんなクラシック音楽と日本文化の面白いつながりについて書いてくださいました。
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「モーツァルトとかぼちゃ」
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトは、1791年3月から9月にかけて作曲をすすめ、9月28日オペラ「ドン・ジョバンニ」を完成させました。初演は1791年9月30日、ウィーン(当時は郊外)のアウフ・デア・ヴィーデン劇場でした。
「魔笛」というオペラは御存知なくても、もしかしたら女性のものすごく高い声でのコロコロと転がるような驚異的な歌声をどこかで耳にしたことがあるかもしれません。また、オペラには縁がなくとも、モーツァルトという作曲家の音楽は、日本のテレビのCMやお店のBGMとして流れたりすることも多いので、モーツァルトとは知らずに聴く機会もある作曲家ではないかと思います。
オペラ「魔笛」ですが、時代は不肖で舞台はエジプト、大蛇や夜の女王がでてきたり、かなり荒唐無稽な筋ですが、曲の美しさなどから大変好まれているオペラで、世界各地での上演回数の多いオペラの一つです。もちろん日本でも度々上演されています。
「魔笛」は、きらびやかな(日本の)狩衣を着た皇子タミーノが大蛇に襲われる場面で幕を開けます。1791年版の台本ト書きには「きらびやかな『日本』の狩衣」とあります。JapanとJavon(ジャワ風)と間違えたという説もありますが、いずれにせよ「狩衣」です。
1791年の初演のオペラで主人公の王子が「狩衣」を着ている設定。少し不思議な感じがしませんか?ヨーロッパにおける日本の文物の流行というと19世紀後半のジャポニスムという感じがしますが、それよりも約100年前のお話です。
当時の日本は江戸時代で、いわゆる「鎖国」政策をとっており、日本はヨーロッパ諸国としてはオランダ(オランダ東インド会社)と交易をしていました。オランダ商館長は江戸参府といって、商館長が来日すると将軍に謁見するため一年に一度、江戸に赴きました。その際、将軍、そのほか幕臣などから「狩衣」を賜りました。御土産です。ヨーロッパから来た彼等にとって、着物をガウンのように着るということで「外国風」な感じを楽しんだことでしょう。商館関係者たちは着物を御土産、贈答品などとして、さらには注文を受けるなどしてヨーロッパへともたらします。当時のオランダ富裕層、知識人の間では日本の着物を「ヤポンス・ロック」と言って人気がありました。
新しいものが好きな人、それをいち早く手にしてみたい人は多くいたでしょうし、時代を先取りして新しいことを始めたい、観客を驚かせ、喜ばせたいと考えたモーツァルトが「狩衣」という衣服を主人公の王子に着せてみたいと思ったとしても不思議ではありません。モーツァルトよりも早く、オランダの画家、ヨハネス・フェルメールは「地理学者」(1669年)の絵で、地理学者は着物(ヤポンス・ロック)を羽織っていますし、オランダの画家レンブラントは版画の紙として日本の和紙を使っていました。
一方日本でも、南蛮貿易、そして江戸時代の「鎖国」政策下での交易を通じて、世界各地のものが入ってきました。現在の日本では冬至にかぼちゃを食べますが、かぼちゃは、国名の「カンボジア」に由来するもので、天文年間(1532-55年)にカンボジア産物としてポルトガル人によって伝えられました。外国産のものが二十四節季と縁を持ち、現在に伝わっているのも面白いですね。(かぼちゃを冬至に食すのは江戸時代以来の由来と言われています。)
自分たちの日常、周囲にある文物とは違う材質、形態のものを手にしたい、遠い国・地域のめずらしいものを手に取りたい、見てみたい、使ってみたいと思うのは、コロナ禍によりなかなか遠くに行くことができない状況が続きますと、よりその気持ちがとてもわかる気がします。