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10月になりました。緊急事態宣言も明けて、京都の街にもそろそろ観光客の方が戻ってこられるでしょうか。賀茂川沿いの桜や街路樹の銀杏が少しずつ色付き始め、落ち葉も増えてきて、秋の訪れを感じさせます。

今回のコラムは、江戸文字書家の橘右之吉さんです。お祭りになくてはならない「テキヤ」さんのテキは「的」なんですね。収穫の秋はお祭りの季節ですが、今年も神事はするけれど、大勢の人が祭礼行事はやらないというところが多いようです。でも、神社は神職の人だけが支えているわけではなく、氏子さんや崇敬者さんの人たちの思いがあってこそのもの。神事だけしかやらないという判断は、神社としてはもちろん楽ではあるのだけれど、氏子さんや崇敬者さんの関わる行事がなくなってしまうと、「我々がいなくても成立するならそれでいいじゃない」と思われ、神社から皆さんの心が離れてしまうのではと心配しておられる神職さんがいらっしゃいました。

テキヤさんを始め、たくさんの人たちの思いが寄せられるお祭りが斎行される未来がなるべく早くくることを願っています。

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【言霊の幸ふ国】

子供の頃、夜店や縁日に「七色唐辛子」や「バナナの叩き売り」などが出ていると、テキヤさんの独特な口上に惹かれ、売り子に「他所で遊べ」と怒られても、脇で面白がり聞き覚えていた。

七色唐辛子の口上は、こんな風だったか‥

「最初に入りますのは四国讃岐の名産の主役八房、

続いて紀州有田の蜜柑の皮で陳皮、

磯の香りは松葉に見える江戸大森の名産で青海苔、

香りと風味に欠かせないのが山椒でござい、

色は黒いが味見やしゃんせ、誰が植えたか岩山椒と唄に歌われる、朝倉山の名産だ。

数ある胡麻の中から武州川越の白胡麻を擦り、

続いて固いが香ばしい日光名産の麻の実、

最後に信州善光寺門前の焼き唐辛子が入りましての七種類、七色のお目通り、七色唐辛子は「やげん堀」の出張販売でござぁい~」

七色それぞれの薬効を織り交ぜ、時にはお客を弄る、それは楽しい啖呵売だった。

七は質や死地に音が通じ、縁起担ぎからこの音を避け「七味」の看板を上げながら「七色」と言い換えての商い。

これらの例は、挙げだすと限がないが、質屋を「七つ屋」硯箱を「当り箱」、摺鉢を「当り鉢」と言い換え、スルメの「する」は「財産を擦る」「無くす」に通じるところから「あたりめ」に言い換える。薪が燃えて炭のようになり、次の火起こしに使う消し炭を、「消し」を嫌って、熾す意味の「おき」と呼び、果物の「ナシ」は「有りの実」、動物のサルは「去る」を嫌って「エテ公」、エテは得意技の「得手」を当てている。櫛屋は「苦・死」を嫌い、九と四の数を加えて「十三屋」など。

古来「言霊の幸ふ(さきはう)国」が日本。

悪い連想を嫌い、忌憚って使うのを避けるのが「忌み言葉」。目出度い言葉に換える例は、今も結婚式や祝宴での「鏡開き」「お色直し」「お開き」などの言葉に残っている。

これらの言葉とは逆に、限られた仲間内で使っていた、暗いイメージの隠語が、近年別の意味で使われているものがある。

平安の昔、公家が座って競った「楊弓」が江戸時代になると庶民の遊び「的屋」となり、的屋(まとや)が音を変え、後に露天商を指す「テキヤ」となった。

この楊弓場「的屋」は「矢場」といい、盛り場や夜店で、お客に半弓を使わせ、的の当たり具合で金品に替えたり、また陰でいかがわしい行為もあったようで、賭博として度々取り締まられたという。

この矢場で、放たれた矢を回収するのが「矢取り女」という女性。お客が弓矢に興じている間も、矢が足りなくなると商売にならないので、客が遊んでいても、飛んでくる矢を避けながら、手早く回収しなければならない。

その最中、矢取り女を驚かせようと、面白半分に狙って悪戯する輩もあり、危険極まりない仕事だったという。そこで危ない場所を「矢場」と呼び、危ないことを「ヤバい」と仲間内で使われ出し、後に世間に広まっていった。

今、若い人が会話で使う「ヤバい」は、使う時と場所によっては、暗いネガティブな「危ない」イメージより、明るく単純な驚嘆の「感動」「凄い」「可愛い」「美味しい」「賞賛」など、ポジティブな意味に捉えているようだ。