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毎日暑い日が続きますね。でも、夏至も過ぎ、少しずつ日は短くなってきているような気がします。夏本番ですが、季節は秋へと向かっているのですね。

87日から、京都の六道珍皇寺では六道参りが行われます。あの世とこの世の境目と言われる六道の辻まで、お精霊さんをお迎えに行く行事です。お精霊さんの依り代といわれる高野槙を求め、迎え鐘を撞き、水塔婆を回向します。なるべく早く、なるべく近いところまでお精霊さんをお迎えに行くというのがなんだか京都らしいなと思います。去年は制限開催でしたが、今年は例年通りの開催になるそうです。お精霊さんたちも喜ばれるでしょうね。

今回のコラムは、一茶庵の佃梓央さんが書いてくださいました。佃さんがコラムでも書いておられますが、彬子女王殿下は自他共に認める「変態ホイホイ」。周りには「変態」を誉め言葉だと思っている一風変わった人たちがたくさんおられます。そんな人たちを彬子さまは心から尊敬し、大切にしておられるのだそうです。

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『あやしうこそ、ものぐるほしけれ。』

彬子女王殿下のお呼びかけで、心游舎さんが「オンラインセッション」をはじめられてからもう一年以上も経たれるそうです。コロナ禍という未曾有の世界状況の中、新しい形で日本文化発信に取り組まれる前向きさに、日本文化の隅っこに生息している私どもも勇気づけられ続けていた次第です。そして本当に幸福なことに、そのオンラインセッションで「お茶」をテーマにされるときいつもお声掛けいただいております。素敵な発信機会とその度ごとの勉強の機会を頂戴し、本当にありがとうございます。

さて、今回のコラムでは心游舎さんのオンラインセッションで「お茶」をテーマにされた合計3回のセッションの中で、私が特に印象に残った場面を取り上げさせていただき、オンラインセッションの「お茶」テーマの回に参加されたことのある方にも、まだ参加されたことのない方にも、その雰囲気をお伝えできればと思っております。

お茶チームはゆるいよね。。。

このようなご主旨のお言葉が必ず最初の打ち合わせの時、彬子女王殿下から発せられていたように記憶しています。まあまあそれもそのはずです。打ち合わせの開始時間に遅れるメンバーが必ず出て来る、本番の日に急にインターネットの接続が悪くなる、本番までにお互いに届け合うべき荷物を、言われた日時までに言われた場所に届けられない、、、それでいて何故か本番までには帳尻が合って、何事も起きていなかったかのように始まり終わる。。。このような事態の渦中でも、まあ何とかなるだろう、というような空気が流れていて、まるで危機感がない。。。さらにはセッションの内容もパネラーとして招いていただいている三人が好き勝手、やりたい放題、言いたい放題、自由。本番は必ず時間オーバー。

昨年の秋。九月九日の「重陽の節句(ちょうようのせっく)※菊の節句」にちなんで開催されたオンラインセッションでは、菊をテーマにした煎茶会をオンラインで楽しもう、というコンセプトの下、最初は、宮中の菊にまつわる行事の話からはじまり、菊が描かれた掛け軸を見たり、菊の花びらを見立てた茶碗が出てきたり、菊を愛でて友人を待つ「陶淵明(とうえんめい)」という、中国古典に出て来る人の話を紐解いたり、「菊慈童」という、奥深い山の中に住み、菊の露で永遠の命を持った伝説の少年のエピソードが語られたり、かなりいい調子で進んでいたのですが、突如、UFO型の急須からフランス製の少年人形が出てきて、さらに漫画『悪魔くん』に出て来る謎の断崖絶壁の島の絵が登場し、「これが現代の我々が身近な素材を使って組み立てる茶会だ、この少年人形×菊の花びらの茶碗×『悪魔くん』の断崖絶壁の島の絵=我々の『菊慈童』ストーリーだ!」と話が展開してしまったのです。「今回どうしてもこの道具を使いたい!何としてでもこの人形を紹介したい!何が何でもこのエピソードが語りたい!」そういうそれぞれの強いこだわりが転がり、走り出して、絡み合ってこのような展開になっていきました。

こんな言葉があります。

「変態(ヘンタイ)」。

ちょっとぎょっとするような言葉です。

ここでの意味は「普通の状態と違うこと。異常な、または病的な状態」。

恐らくこのご紹介した菊の節句のオンラインセッションの時だったと思います、もしかしたらその前に行われた昨年初夏のセッションだったかもしれません、「こだわりにこだわりぬいて道具を使ったり、お茶を選んだり、お茶をいれたりする楽しさ」について本番中に話が展開しているとき、彬子女王殿下がこんなことをおっしゃいました、

「さっきからお茶チームのみなさんから『変態』ってキーワードが何度か出てますけど・・・」。

私はこの瞬間、サァーッ、と血の気が引きました。そんなお言葉をお使いになってはならない、取り消すことは出来ないか、何かフォローは出来ないか、、、と思いながら、他のメンバーの方になんか言ってください、と念じながら、私は最終的にハハハと引きつって笑うことしかできなかったことを思い出します。確かに、打ち合わせの段階では、茶に関わる様々な方々の「普通とは違う、異常な、病的な」こだわり方、細かい作業等、面白おかしく話題に上っていましたが、まさかそれが本番で、『変態』という言葉そのまま、出てしまうとは予期出来ていなかったのです。ちなみに彬子様はこのとき「さっきから」「何度かでてますけど」とおっしゃってこの言葉をお取り上げになられましたが、私の記憶の限りでは、このときの彬子様のこのご発言が、おそらくこのセッション本番中における『変態』という言葉の初出です。

これまで彬子女王殿下とメッセージをやり取りさせていただく中で、印象的だった文面があります。それは彬子様ご自身の周りには「仕事のできる人もいて、できない人もいて、そして何より『変態』がいます」という文面でした。私のような仕事が遅く、できない人間への温かさと、それよりなにより『変態』という言葉。

言わずもがな、彬子様の周りには、たくさんの日本文化に携わる方々がおられて、その素敵な方々を一本通す言葉としての『変態』。「普通とは違って、異常なほど、病的なほど」にその道についてこだわりがあり、知識があり、強い考え方があり、愛情がある。「普通と同じで、正常で、健康的」な、いわば平均値が、果たして人の心を打ち続け、「文化」となり、人に愛され続ける「伝統」となり得るでしょうか。やはり「文化」と呼ばれる何かであり続けるには、その請負人たちが、こだわり、勉強し、愛情を注ぎ続けなければならないでしょう。『変態』という言葉に隠された、彬子様からの応援メッセージを私は受け取りたいと思います。

「つれづれなるままに日暮し、硯にむかひて、心にうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。」

言わずと知れた吉田兼好『徒然草』の冒頭です。

「何もする事のない手持ち無沙汰さにまかせて、一日中、硯に向かって、心に浮かんでは消えるとりとめもないこと」のような日本の文化、いざ「あてもなく書き進める」ようにその文化を楽しみ始めると、「異常なほどに狂ったようになっていく」。この「異常なほどに狂ったようになる」ことが文化の継承だと、彬子様のお言葉や心游舎さんの活動にご一緒させていただく中で学ばせていただいています。

「あやしく」「ものぐるおしく」『変態』めいた日本文化の楽しさを、オンラインという新しい形と、リアルという今までから引き継がれる形と、その両方でこれからも共有させていただければと思っております。どうぞこれからもよろしくお願い致します。