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梅雨が明けたら、一気に暑くなりましたね。今年は、祇園祭の山鉾巡行はありませんでしたが、街には鉾や山が建ち、コンチキチンの祇園囃子が聞こえてきました。例年通りとはいかないまでも、これぞ京都の夏、とほっとされた方も多かったのではないでしょうか。

京都は、三方が山に囲まれ、湿度が高く、じりじりと照り付ける暑さが夏はとても厳しいですが、京都人は夏を楽しむ術をよく知っている気がします。祇園祭もそうですし、京町家では、夏になると建具を替えられます。襖を簾戸(すど)に、障子を御簾(みす)に替え、畳の上には、籐の網代(あじろ)や 籐筵(とむしろ)を敷くと、なんだかすっきりと涼しく感じられるのが不思議です。徒然草に「家の作りやうは、夏をむねとすべし」とありますが、昔の家はすーっと良い風が通るようにできているのですよね。

でも、今のように、タンクトップの服も、クーラーもなかった平安時代の人たちは、どのように夏を過ごしていたのでしょうか。黒田装束店の黒田基起さんが、コラムでそんな疑問に答えてくれました。襦袢を着ずに過ごしていたなんて、今の感覚だとセクシーすぎて、目のやり場に困ってしまいそうですね。

明日に迫った月見饅のセッションでは、黒田装束店にご協力いただき、16歳のモデルさんに夏の装束を着付けていただき、月見儀礼の再現をいたします。もちろん今回襦袢はありです。

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平安時代の夏の装い

十二単を初めて体験される方は、よく夏の暑さの心配をされます。たしかに何枚も重ねて着ていては暑くて仕方ありません。 しかし、当時の女官は十二単を毎日着て、生活していたわけではありません。そもそも十二単は特別な儀式の装いであり、普段はもっと簡略化された装束を着て、日常生活を暮らしていました。

夏には透けている紗(しゃ)の織物で、装束を仕立て、風通しの良い装いで生活をしていました。驚きなのは、当時は白衣や襦袢がなく、女性は上半身が透けて見える装いで日常生活を暮らしていたということです。これはつまり、当時の女性は胸を見せることは恥ずかしいことではなかったということかもしれません。

今ではなかなか想像できない装いではないでしょうか。

装束だけでなく、身の回りの物も暑い夏に合わせて、変えていました。

扇もその一つです。十二単の姿でも桧扇を手に持ちますが、扇は扇でも、扇ぐ用途の扇ではありません。桧扇は顔を隠したり、指図を出す際に使う扇なのです。 そして桧扇は冬扇といわれ、反対に夏扇は「かわほり」という扇のことを指します。扇に冬と夏があることが驚きですが、その性質の違いで分かれています。

蝙蝠(かわほり)。呼び名と漢字の関係については、骨が5本程でコウモリの翼に似ているからという説や紙を張った扇であるからという説など、いくつかの説がありますが、「かわほり」は桧扇と違い、扇ぐ目的の扇です。現代で使われている扇子の5本骨バージョンをイメージしてください。形状も軽やかで、涼しさを持った形をしています。

平安時代の人々は暑い夏にはエアコンや扇風機の代わりに、かわほりで扇いで風を送り、夏を乗り越えていたのでしょう。