まだまだ梅雨は続くようですが、ざーっと雨が降って、晴れる日もあるので、そんなときは虹が出ないかなとつい外に出てしまいます。虹を不吉なものとして、指さしてはいけないとか、虹と蛇と結びつけるといった考え方は世界各地にありますが、天と地を結ぶ橋という考え方の方が幸せでいいなと思います。ギリシア神話に登場する女神イリスは、虹の神。天と地、神々と人間を結ぶとされ、神々の使者とされています。
虹は七色ですが、七味唐辛子も七色。今回のコラムは、江戸文字書家の橘右之吉さんが「なないろ」のお話を書いてくださいました。右之吉さんが、「ちょっとそこの七色取ってくんな」と言われるのはとてもかっこいいんですよ。ちょっと言ってみたくなりませんか?
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七色とんがらし
私の生家では「七味唐辛子」の「七味」を「なないろ」と言い換え、「唐辛子」を江戸訛りであろう「とんがらし」と、普通に言っていた。
お祭りに「七色唐辛子」の露店が出ていると、売り子の口上を覚えてやろうと、楽しみに聞いていた。
最初に入りますのは四国讃岐の名産主役八房、
続いて紀州有田の蜜柑の皮で陳皮、
磯の香りは松葉に見える江戸大森の名産青海苔、
香りと風味に欠かせないのが山椒
色は黒いが味見やしゃんせ、誰が植えたか岩山椒と歌われる、朝倉山の名産
数ある胡麻の中から武州川越の白胡麻を擦り
続いて固いが香ばしい野州日光名産の麻の実、
最後に信州善光寺門前の焼き唐辛子が入りましての七種類、七色のお目通り、七色唐辛子と相成ります。
こんなふうだったか?
七色それぞれの薬効も織り交ぜて、楽しい口上だったのを、おぼろげながら覚えている。子供たちも無駄口で「とんとんとんがらしは辛いね。あ、ひりひり」と、囃していた。
七は質や死地に音が通じ、縁起担ぎからこの音を避け「七色」と言い換えている。生家は鳶頭と酉の市の熊手を作る縁起商売だったから、一層縁起が悪い物言いは避けていたようだ。
世間では聞かれない不思議な言葉を、我が家は使っていると感じたのは、ある程度成長してからだった。挙げだすと限がないが、「質屋」を「七つ屋」、「硯箱」を「あたり箱」、「すり鉢」を「当り鉢」と言い換え、「スルメ」を「あたりめ」と言うのは、よく知られている言葉だ。「する」は「無くす」に通じるところから置き換えたのだろう。
動物の「サル」を「えてこう」というのは、「去る」を嫌い、「得手に帆を上げ」の「得手」に「公」を付けて「エテ公」と呼ぶのも縁起から。薪が燃えて炭のようになった「消し炭」を、「消し」を嫌って、熾す意味の「おき」と呼び、次の火起こしに使っていた。果物の「梨」は「有りの実」といっていた。
不吉な意味や連想を持つところから、忌憚って使うのを避けるのが「忌み言葉」。「縁起」の良い言葉に置き換える例は、今でも結婚式や祝宴の場で耳にする。鏡割りは「鏡開き」、新婦退席は「お色直し」、終宴は「お開き」などなど。
偶数は割れるので嫌い、一、三、五、七の奇数を「吉数」とするのも割れない縁起からという。
言霊の国ならではの、こだわりかもしれない。