随分と早い梅雨入りで、じめじめとした毎日が続きますね。梅雨入りが早ければ梅雨明けも早いのだろうと思っていたら、そういう訳ではないと知り、がっかりしましたが、きっと自然の営みの中では意味のあることなのだろうなと思っています。
賀茂祭も梅雨空の下での開催となり、雨が心配されましたが、無事お祭りの間は雨が降らず、滞りなく執り行われたことに安堵しました。古来、「祭」といえば、賀茂祭のことを指しました。平安時代から行われていたお祭りで、伊勢物語や源氏物語にも記載があります。勅使や斎王を始め、祭りに参加する人たちが、葵鬘(あおいかづら)を飾り、社家の家々にも葵をかけたことから葵祭と言われるようになり、近隣諸国から多くの人たちが見物に訪れていたそうです。
石清水八幡宮のお祭りを「南祭」と言ったのに対し、「北祭」とも言ったそうです。古くは、四月の二の酉の日に行われていましたが、今は5月15日に行われます。今は両賀茂社の賀茂祭、石清水八幡宮の石清水祭、春日大社の春日祭が三勅祭と言われ、天皇陛下のお使いである勅使さんが参向されます。賀茂祭で勅使さんが奏上される御祭文は紅色の鳥の子紙に記されています。数ある勅祭の中でも、紅色なのは賀茂祭だけなのだとか。
今回のコラムは、上賀茂神社権禰宜で、心游舎理事の乾光孝さんがそんな「祭」のことを書いてくださいました。どんな状況でも祈りが捧げられる場があるというのは、ありがたいことだと思います。
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「賀茂祭(葵祭)」
多くの方が、「今年も葵祭ありませんでしたね。」とお声を掛けて来られました。
ですが本年も5月15日、宮中よりお差し遣わしのあった御勅使御参向の下、通称:葵祭、正式名称:賀茂祭が厳粛に斎行されました。
ご存じの通り、昨今の感染症対策の為、二年連続で行列は出来ませんでしたが、そういった事は、1450年以上続く葵祭の中では度々起こりました。
一度目は、応仁の乱から、元禄時代まで、二度目は、明治の御一新から、岩倉具視の具申をお聞き届けになった明治帝の御裁可まで、三度目は先の大戦から、戦後復興の市民機運の盛り上がりによる行列復活まででした。
そして、今回の二年間の行列の中断となります。
ですが、そういった中にも一環して、畏き辺りよりの御使は、必ずお見えになっておられました。今年参列した神社関係役員(総代)からは、「この状況下、お祈りを捧げていただける事は本当に有り難い事です。」と口々に言っておられました。
そして、私的な御参拝として心游舎総裁であられる三笠宮彬子女王殿下の御台臨を仰ぎお祈りを捧げて頂きましたことは大変大きな励みになった事でございました。
新聞報道では、日々感染者増の厳しい報道が続きますが、この様に共に祈りを捧げ、そして現状が少しでも良くなります様、引き続き心を込めた日々を過ごして参りたいと存じます。
そう、この事こそ、持続可能な営みであったのだろうと思います。子々孫々まで末永く続く様、日本文化には疫病に悩まされる事なく、共に多くの人が穏やかに、そして笑顔で過ごせる様、そういった考えが年中行事等で随所に見られます。オンラインで拝聴する心游舎のセッションからもその事はひしひしと伝わって参ります。
今年の葵祭を通して改めてその事に思いを馳せる貴重なひとときとなった令和3年の5月15日でありました。