京都は山に囲まれているせいか、鳥や虫などが比較的身近にいるような気がします。蛍の時期や夏休み中は、虫取り網に虫かごを持って、お父さんと歩いている子どもをよく見ますが、自然を近くで感じられるというのはいいものだなと思います。
今回のコラムは、学習院大学史料館研究員、じゅんじゅんさんこと、田中潤さんの蝶と鳥のお話です。中高の古文の授業などで、なぜ「蝶々(ちょうちょう)」が「てふてふ」なのかわからない!と悩まれた方は多いのではないでしょうか。でも、他の古文の文法などは全く覚えていなくても、未だに「てふてふ」という文字を見れば、「ちょうちょう」と読める方は多いような気がします。日本の教育はすごいですね。
でも、古くは蝶のことを「かわひらこ」とか「かわびらこ」と言ったそうです。川辺をひらひら飛んでいるという意味だとか。「かわひらこ」にしても「てふてふ」にしても、なんだかかわいらしいですよね。蝶の特徴をよくとらえた言葉のような気がします。
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「有職文様-蝶鳥意匠の持つメッセージー」
暖かな日差しのもと、咲きそろう花から花へと飛び交う蝶や、蜜を求めて花をついばむ鳥の姿を見ると、今年も新学期が始まるなと気持ちを新たにします。都会ではあまりその姿を見かけない蝶や鳥ですが、公園等の緑の中からふと現れる姿や鳴き声にホッと安らぎを感じる方もおられるのではないでしょうか。
古代から人々の身近に生息してきた蝶や鳥の姿は、デザイン化されて私たちの生活を彩ってきました。蝶や鳥の文様は、有職文様として装束の生地に表現されてきたほかに、調度品にもその図案は用いられてきました。優雅に飛び交う蝶の文様ですが、実際は絹を生み出す蚕蛾(さんが)をもとにしたと考えられており、休みなく動き回り、たくさんの卵を産むことから勤勉・繁栄の象徴とされてきました。有職文様では想像上の鳳凰をはじめとして、尾長鳥や鸚鵡(おうむ)・鶴などが見られます。一方で蝶と共に、蝶鳥文様としてセットで表現されてきた鳥の文様は、意匠化が進んでおり、具体的な鳥の種類は必ずしも明らかではありません。
この蝶鳥文様は、檜扇や屏風の裏面、春日大社で大神様の食膳にあたる五斗台(ごとだい)、寝殿造で用いられる障屏具(しょうへいぐ)の一つ壁代(かべしろ)の幅筋(のすじ)や、大嘗祭で用いられた小忌衣(おみごろも)とよばれる清浄さを象徴する装束に付けられた赤紐と呼ばれる組紐の上などに表現されています。蝶鳥は異界との結界を象徴するとも考えられており、内側と外側、自分と他者、清浄とケガレとを区切る役割を視覚的に表現していました。
コロナ禍の渦中にあって、アマビエなど様々な意匠のマスクが見られます。早期の終息と感染防止の観点から、ウイルスとの結界を張るべくマスクに蝶鳥の図案を考えてみても良いのかもしれません。