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京都の山々の新緑が日に日に濃くなり、夏の色に近づいてきている気がします。陰暦4月の異称に、木葉採月(このはとりづき)というものがあります。蚕にやる桑の葉を摘み取る月であることから、このように呼ばれます。陰暦4月ですから、新暦に直すともうひと月くらい先になりますが、桜も季節が終わり、新緑がまぶしくなる時期にはふさわしい名称だなと思います。

今回は太宰府天満宮宮司で、心游舎理事の西高辻信宏さんが樟についてのコラムを書いてくださいました。樟は、日本には古くからある樹木で『魏志倭人伝』でもその存在が知られています。葉と木に含まれる成分には特有の芳香性があり、樟脳と言われ、セルロイドの材料や防虫剤、薬用として使われてきました。カンフル剤という名でよく知られているでしょうか。防虫効果があるので、和風建築や船舶、家具や楽器などに樟の木材はよく使われています。捨てるところがなく使える樹木と言うのはすごいですよね。

太宰府天満宮には、樹齢1000年を超える樟が何本もあり、天満宮が創設されるより前からその地で人々を見守ってきています。1000年前から変わらぬ景色、1000年先も変わらぬ景色を大切にしていかなければと改めて思います。

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「千年樟」

「くすの木千年、さらに今年の若葉なり」
これは俳人、荻原井泉水(一八八四~一九七六)が八十二歳の時に太宰府天満宮にて詠んだ句で、井泉水自らの書による句碑が、御本殿裏の大樟の懐に抱かれて建っています。

天満宮の神苑は、六千本の梅と共に、樹齢数百年から千五百年以上とも言われる巨大な樟の木々によって「天神の杜」が形作られています。樟は、日本でも特に九州一帯に広く分布し、古くからその葉や枝が樟脳に精製され防虫剤や医薬品として用いられるなど、身近な存在でもありました。太宰府天満宮も元々一帯が樟の原生林だったと言われており、その中でも創建以前から存在する大樟は、幹回り十二メートル、高さ四十メートルにも及び、国の天然記念物に指定されています。

天満宮の樟はこの地に芽生えて以来、今は歴史として語り継がれる様々な出来事の目撃者として、また時代によっては戦乱で舞い散る火の粉を葉や幹に浴びたかもしれません。時代時代を生き抜き、大樟が地中深く根を張り、太い幹から天高く枝葉を伸ばし聳え立つ様は、我々を優しく見守り、抱き、大らかに包み込んでいるようです。

樟は毎春、生命の湧き出るような鮮やかな若葉を付けます。今は、境内の天神の杜が新緑に彩られ、一年で最も生気に満ちた時期でもあり、見ているだけで、前を向いて歩みを進める、そんな力を頂ける気がします。そして、千年の齢を重ねてっきた証としてごつごつとした荒い肌、曲がりくねった姿態を持つ樟だからこそ、一層その若葉は瑞々しさを持って感じられます。毎年毎年、青々とした若葉を生み出し、必ず古葉は次の命の誕生を見届けた後に自らは雨のように大地に落ちて行き、その命を新しい命である若葉へと継承してきました。
毎年の若葉が命を繋ぎ、命を燃やしてきた繰り返しが、振り返ると「千年」という月日を刻み、今に繋がっているのです。