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4月に入り、新年度が始まりました。去年の今頃は重苦しい雰囲気で、入学式や入社式などが中止になっていたことを思うと、状況は少しはよくなっていると信じたいですし、あれからもう1年たってしまったのかと信じられない思いもします。

今回のコラムは、心游舎の事務局長の多田容子さんが書いてくださいました。字はきれいに越したことはないと思いますが、なかなかお稽古をしたいと思っていてもできないものです。パソコンやスマートフォンは便利なものですが、字を書く機会が減り、どんどん漢字を忘れているという方も多いのではないでしょうか。

テクノロジーは日々変化していますが、今年パソコンで書き、保存した文書が20年後に本当に残っているかはわかりません。バックアップを取っておかなければ、落とした衝撃などで一瞬にしてなくなってしまう可能性もあります。でも、正倉院には1000年前に書かれた文書がそのまま残っています。墨と和紙のすごさを改めて感じますよね。今も神社やお寺では、日報だけは墨と筆で書くというところが多いようです。

親に無理やり行かされたお稽古事はなかなか身につかなかったりしますが、自腹を切って、自分で行こうと思って始めたお稽古事は絶対に身に付きます。新年度も始まり、新しいことを始めるのにはいい季節です。多田さんのように、何か新しいお稽古事を始めるのもいいかもしれませんね。ちなみに左馬助は、どんなに教えても、伏せができません。
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書は人なり

一億総スマホ時代の到来で、プライベートやビジネス上での人と人のコミュニケーションの多くはスマホ上で完結し、文章は書いてもペンや鉛筆を持って実際に文字を書くと言う習慣がどんどん減っています。

たまたま、字を書かなければならない場面に遭遇すると、「あれ?何日ぶりにペンを持ったっけ?」とふと考えてしまうこともしばしば。

実際に、私自身も仕事上PCやスマホは必須のアイテムで日々フル活用していますが、確かにこういったツールの出現と浸透のおかげで、場所に関係なく日々多くの方とのコミュニケーションの機会を得ることができ、また資料一つ一つを手書きで作成していたアナログ時代と比較すると、仕事のスピードは以前とは比較にならないほど格段に上がりました。効率化に価値を置くならば、大きな変化だったと思います。

ですが、いっぽうでぼんやりとした危機感を感じている自分もそこにいます。

先日、押入れの整理をしていたら、昔実家の電話の横に常に置かれていた手書きの電話帳が出てきました。今は亡き母親が親戚や知人の電話番号を書き記したものです。お商売をしていた関係上いつも忙しく過ごしていた母親らしく、走るような文字の筆跡を眺めていると、懐かしさと同時に微笑ましくもあり、しばしアルバムを見ている時と同じような感情が込み上げてきました。
“書は人なり”と言いますが、一文字一文字の筆跡から感じとることのできるその人のクセや心情は、その人自身を理解するための一つの情報源でした。あくまで私の主観ですが、デジタル化の進化で効率化や利便性を得た分、文字を通して他者を理解し思いやる、あるいは自分自身を表現する機会を少しずつ失っていっているのかも知れません。

「初めての書道」

日々そんな事を感じながら過ごしている中、心游舎のロゴを書いていただいている神郡宇敬先生に「オンライン書き初め」をしていただける機会に恵まれ、それをきっかけに、私自身も先生に人生初となる「書道」を習う決心をいたしました。

汲みたての水を使い、ゆっくりと墨を磨るのは実に数十年ぶりの事。

墨のやわらかい香りや微かな磨り音はとても心地よく、しばらく味わった事のない感覚です。

書道を通して美しい文字を書く事ができるようになれればいいな・・・そんな思いもありますが、それよりもむしろ、しばしスマホやPCの電源を落とし、文字を通して自分を見つめるための時間、そして、文字を通して自分を表現する時間として、しばらくとても褒め上手な宇敬先生の元でお世話になろうかと思っています笑