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11月に入り、和菓子屋さんでは亥子餅をよく見かけるようになりました。旧暦10(亥の月)の亥の日の亥の刻に穀物を混ぜ込んだお餅を食べて、秋の収穫を祝いました。子どもをたくさん産むイノシシにあやかって、子孫繁栄を願うものでもありました。亥子餅が並んでいるのを見ると、体を寄せ合っているうりぼうが思い起こされて、かわいらしいですね。今年の亥の日は1111日。各お店で味も模様も違うので、食べ比べてみるのも楽しいです。

今日のコラムは、辞書編集者の神永曉さんです。黄昏時というと、数年前に流行った映画「君の名は。」を思い出します。前にいる人が誰だかわからないから、「誰そ彼」とき。とてもロマンティックですよね。

最近は夕焼けが美しい日が多いような気がします。一日の終わりに、きれいな夕焼けを見ると、良い一日だったなと思えますね。

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【ことばっておもしろい! 12

夕暮れを表すことばは、発想がおもしろい!

夕方になって辺りが薄暗くなると、何となく不安な気持ちになりませんか。今のようなよい照明器具のなかったころは、特にそうだったと思います。昔の人は、そんな心細くなるような時間のことを、いろいろな語で呼んでいました。それが、日本人独特の発想を知ることができる、興味深いことばばかりなんです。

「たそがれ」とか「たそがれどき」とかいう語は、聞いたことがあるでしょう。この語は、「誰(た)そ彼(かれ)は」ということで、人の見分けがつきにくい時分、つまり夕暮れのことを言います。似たような語に「かわたれ(どき)」がありますが、これは「彼(か)は誰(たれ)」ということです。ただ、こちらはふつう明け方のことをいいます。

「逢魔が時」などという語もあります。「魔」と出会うときなんて、すごい語ですね。この語は声に出して言うときは、ふつうオーマガトキなんですが、国語辞典で引くと、見出し語が「おうまがとき」か「おおまがとき」かで揺れています。「おおまがとき」だと「大禍時」と書きます。こちらは、この時刻には不吉なことが起こりやすいということから生まれた語です。「まが」は禍(わざわい)のことです。

なぜオーマガトキの表記が揺れているのかというと、実は、「大禍時」がもともとの形だったのです。この「おおまが(大禍)」は「おお」と「まが」に別れるのですが、後にこれが「おおま」と「が」に分かれると意識され、「が」は助詞、「ま」は「魔」だと解釈されたために、「大魔が時」という言い方が生まれました。さらに、「魔に逢う」という解釈が生まれて、「逢魔が時」と書かれるようになり、「おうまがとき」と言われるようになったのです。次第に辺りが暗くなる暮れ方は、魔物が出てきそうに感じられたのでしょうね。ことばの変遷から、日本人の発想法が読み取れそうです。

また、同じ時間帯をいう語に、「雀色時(すずめいろどき)」という語もあります。あたりがスズメの羽の色のように茶褐色になる時分という意味です。スズメを見てこんなことばを生み出すなんて、とてもユニークな発想だと思います。今ではあまり使われませんが、いつまでも残したい語のひとつです。