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今週は全国的に随分と冷え込み、京都でも雪化粧した寺社の姿がニュースなどでも流れていました。雪のニュースは、寒くて困るのだけれど、少し心が浮き立つような不思議な感覚があります。

雪の和歌と聞いて多くの方が思い浮かべられるのは、百人一首にある山部赤人の「田子の浦にうち出でて見れば白妙の富士の高嶺に雪は降りつつ」でしょうか。田子の浦の海岸に出てみたら、白い富士山が見えて、山頂に雪が降っているという歌ですが、万葉集にある山部赤人のオリジナルは少し違っています。「田子の浦ゆうち出でて見れば真白にぞ富士の高嶺に雪は降りける」なのです。田子の浦を通って、見晴らしのいいところまで出てきてみると、真っ白に雪が降り積もった富士山が見えるという意味で、ニュアンスが異なっているのです。百人一首の選者であった藤原定家が手を加えたのでしょう。

雪が現在進行形で降っているのを美しいと思うか、雪が降り積もった姿を美しいと思うか、時代によって美意識が違ったということなのでしょうか。歌が形を変えながら詠み継がれていくというおもしろい例ですね。

今回のコラムは、そんな和歌のお話。オンラインセッションをご覧になってくださっている方には見慣れたお顔になりつつあるはずの、上賀茂神社の乾光孝さんです。
どんな質問をしても、いつもさらりと回答してくださる乾さん。
明日は今年の心游舎の活動の結びとなりますオンラインセッション「今さら聞けない神社のお話」で司会を務めてくださいます。どんなお話が聞けるか楽しみにしていらしてくださいね。
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上賀茂神社と和歌

今年で4年目となる、上賀茂神社(正式名称:賀茂別雷神社)の境内で行われる予定であった、心游舎と京都産業大学の共催プログラムは、今年オンラインにて行われた事は、この心游舎Facebookを常日頃からご覧になっている皆様にはご承知の通りかと思います。

そのオンラインで開催されたテーマが今年は「和歌」でありました。学生や子たちのまっすぐで純粋な和歌(短歌)に触れる機会を得た事は大変有難い事でした。
今回のコラムは、上賀茂神社と和歌について触れてみたいと思います。

と言いますのも、現在で数えられるだけで204代目となる歴代宮司(神主)(注…上賀茂神社では「こうぬし」と読ませていた)の素養の一つに「和歌が詠めなければならない」というものがありました。ある、社家(代々、上賀茂神社の神職をしていた家柄)の古老に見習い神職時分に訪ねた事があります。
私「この系図を見ると長男が直ぐに神主を罷免されて、次男が神主になっていますが、何かあったのでしょうか?」
古老「それは、和歌が上手に詠めず返歌を返せなかったからだ。」と。
賀茂齋院と呼ばれる「斎王」のお住まいとの和歌の往来があったとの事で、その返歌がうまく返せず罷免されたという事を伺いました。大変厳しいものだなと思った記憶が今も鮮明に残っています。

その中で、平安時代後期の勅撰和歌集である『金葉和歌集』に住吉大社の神主と上賀茂神社の神主が和歌の往来をしている興味深いものがあります。

ききわたる みたらしがわの みずきよみ
そこの心を けふぞ見るべき  津守國元(住吉社神主)

返歌『異本所収』
すみよしの まつかひありて けふよりは
なにはのことも しらすばかりぞ  賀茂成助(第五代神主)

上賀茂神社の境内を流れる「ならの小川」は身を清める御手洗川(みたらしがわ)とも呼ばれ、清らかな流れの代名詞となっていました。上賀茂神社の神主の心というものをそれと掛けているわけですが、それに対する上賀茂神社の神主の返歌も、迎える事を楽しみにしていた事とともに、大阪の事などももっと知ってみたい気持ちを表しています。
この様に和歌には、31文字という限られた中にも当時の息づかいを感じ取れる興味深いものがあります。かくいう私は、和歌は詠めず専ら、詠まれた和歌を鑑賞する事を楽しみにしているばかりなのが恥じ入る処ではあります。

さて、このコラムが発行されるこの時期、段々と空気の乾燥も進み冷え込みも一段と厳しくなっています。世間では「第三波」という心穏やかざる表現も聞こえて参りました。
結びにあたり、そういった気持ちを感じる事の多かった今年の結びとして、私が年間を通して去来した和歌を紹介したく存じます。

この秋は 雨か嵐か 知らねども
今日のつとめに 田草取るなり  二宮尊徳

(写真は、今年の心游舎×京都産業大学共催ワークショップにて、上賀茂神社本殿にお供えされた歌集と代表参拝する学生)