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京都、特にお寺の近くにいると、修行中の雲水さんや、修験者の方を見かけることが時々あります。「頑張ってね~」とご近所の方が声をかけておられたり、その出で立ちでバスに乗っておられる姿を見ると、日常の中にこうして祈りが生きているというのはいいものだなと思います。
修験者が持っておられるものの一つに、法螺貝があります。少しの息で吹いても、大きな音が鳴り、遠くの山にも聞こえることから、小さなことを大きく言う、大袈裟に言うことを「ほらを吹く」というのだそうです。
今回のコラムは、そんな修験の山にも登られる心游舎の代表理事、森川太郎さんです。森川さんは、創設当初から、会員として心游舎のワークショップに参加してくださっており、今は頼れる代表理事として心游舎を支えてくださっています。あの頃小学生だった息子さんが今は大学生と聞くと、時の流れを感じるとともに、心游舎も随分と歩みを進めてきたものだなと思います。
今回は、毎年出かけられている大峯修行のお話を書いてくださいました。心游舎で修業に出かける日はいつか来るでしょうか。
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「もうかれこれ20年くらいになるかな~」
なんてつい先日講の仲間と話してたのですが、毎年8月の最終土日に奈良県南部にある大峯山に登っています。単なるトレッキングや山登りではなく、いわゆる山岳修行を少しかじるような行(ぎょう)をしながらハードな2日間を過ごすのです。

土曜の夜出発し、山頂でご来光を拝んで下山。それから吉野の金峯山寺で手を合わせて終了し、近所の旅館で精進あげをして、参加したメンバー全員でどんなことを感じてどんな価値を持ち帰るのかをシェアし合うわけです。

「懺悔懺悔、六根清浄(さんげさんげ、ろっこんしょうじょう)」という掛け声を大勢で出しながら山を登っていきます。通常「ざんげ」と読みがちですがこの掛け念仏の場合は「さんげ」と言います。まさに懺悔の気持ちを持ちつつ、六根(眼,耳,鼻,舌,身,意)から生じる迷いを断って、清らかな身になろうと掛け念仏を唱えていくと、体力的なしんどさと、肺活的なしんどさが相まって思考が無になっていきます。

ところで1300年続くこの大峯修行、実は麓の女人結界門からは、女性が立ち入ることが許されていないのです。いろんなご意見があろうかと思いますが、宗教的な理由からだそうです。
と、そんな大峯修行も実は今年、コロナウィルスの影響により山頂での護摩焚きや各行場での修行も出来ない状況になっているため、例年通り講の仲間達と登ることが出来ませんでした。そんな中、個人レベルで登る仲間がその日に集って行ってまいりました。

まずは午前零時くらいに天川大弁財天にて安全祈願。それまで思い思いに雑談してた同行者もここからはピリッとした空気になり、緊張が走ります。そして結界門からいよいよ登り始めるわけですが、暗闇の山はやはり異様な空気に包まれており、より一層緊張が増します。1年の節目を誕生日、正月、会社の期初、としていますがそこに割って入るくらい、昨年の入峯時を思い返して今年とどうなんだろうと振り返る瞬間です。

汗が噴き出して足の筋肉に乳酸がたまりだして、頭が真っ白になってきた頃に、ふと夜空を見上げると、ビックリするほど散りばめられた星の数に連発する流れ星、まさにご褒美かと思えるほどの情景。そして山頂では、かつてないほどの綺麗なご来光を拝めました。

なんとも筆舌に尽くしがたい目の前の景色に癒されながら、今年も大峯修行を終えたわけですが、不思議なことにこの20年ほど、一度も当日を迎える前に怪我をしたり突発な用事が入ったりとかが無く、「あぁ、また山が呼んでくれたんだ」って、帰るときに毎年「来年もより成長した姿で。。。」と思い、山を後にします。

1300年続くこの山に1000年前の人も500年前の人も、同じ景色を見ながら何かを感じながら行じてこられたことを考えると、やはり次の世代にバトンを渡していかなければと最近は思うようになりました。いつか心游舎でも子供達と一緒にこの経験が出来ればいいなぁと。。。