10月になりました。10月の異称に「神無月」があります。全国の神様が出雲大社に集まって会議をされるため、諸国に神様がいなくなることから「神様がいない月」で神無月という説もありますが、水無月と同じように、「な」は「の」という意味。神の月という意味のようです。でも、どちらにしても神様が集まる神祭りの月であることには変わりありませんね。
今日のコラム執筆者は、その神様が集まられる出雲大社の権禰宜、長田圭介さんです。5月のえびす・だいこく100キロマラソンや7月のキッズキャンプのときにはいつもサポートしていただいています。出雲は、神様との距離が近く感じられます。「ここは大国主さんがな…」と、まるでご近所さんかのように語られる方がたくさんいらっしゃいます。まさに「神無地」と言えるのかもしれません。
長田さんのお話は、そんな神様とゆかりの深い古事記と日本書紀のお話です。オンラインセッションでも日本神話のお話は大変好評で、ぜひ続編をというお声を頂いています。来年度以降に連続講座を企画したいと思っておりますので、ご期待くださいませ。
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『古事記』と『日本書紀』について ~『日本書紀』成立一三〇〇年を迎えて~
今年は伝存最古の正史(正式な歴史書)である『日本書紀』成立から一三〇〇年の節目に当たります。同じ奈良時代成立の『古事記』と併せ「記紀」と呼ばれ、日本神話を学ぶ上で基本となる書物とされます。
『古事記』は和銅五年(七一二)に元明天皇(げんめいてんのう)が太安万侶(おおのやすまろ)に命じられて稗田阿礼(ひえだのあれ)が誦習する歴代天皇の歴史や諸氏族が伝える説話・伝承をまとめ完成させたと序文に語られます。対する『日本書紀』は同じ正史である『続日本(しょくにほん)紀(ぎ)』に養老四年(七二〇)五月に舎人親王(とねりしんのう)が勅命を奉じて同書を編纂し完成・撰上されたことが記されます。この同じ奈良時代に二つの歴史書が編まれた背景には、飛鳥時代の天武天皇(てんむてんのう)によって開始された歴史書編纂事業があります。
天武天皇はそれまで各氏族・豪族が個々に伝えている説話・伝承に史実と異なる内容が多いことから、これを正し真実のみ載せた正当な歴史書編纂を志されたことが、『古事記』序文に語られています。これを受けて歴代天皇と皇族の系譜である「帝(てい)紀(き)」と各氏族に伝わる説話・伝承である「旧辞(くじ)」(「本辞」とも)を編纂させ、それを資料に用いて歴史書として完成されたのが「記紀」なのです。編纂された時代や動機・背景は同じですが、「記紀」それぞれに対する評価や位置づけは大きく異なります。
一般的に、『記』は国内を意識したもの、『紀』は外国を意識したものとされます。それは、『記』は神代に遡る古い時代の祖先たちの事蹟を語ることで、国や民族の起源を物語ることに力点が置かれているのに対し、『紀』は「日本」の国号が冠されるように国家的文書、公的歴史書として編纂され位置づけられたものと考えられるからです。
その理由としては、『記』が全三巻の内一巻を神話に充て、和風漢文体という日本独自の記述方式であるのに対し、『紀』は全三十巻の内神話は二巻のみ、文法も純漢文体に近い記述方式を採っていること。また、『記』が一貫した物語として神話を描くのに対し、『紀』は「一書(あるふみ)に曰く(いわく)」という異伝を多く併記する点などが唐や朝鮮などの漢字文化圏の外交相手国を強く意識していたためと考えられています。
現在は『記』が神話を学ぶ入口としては易しく親しまれていますが、近世以前は『紀』が公式の歴史書として尊重され、平安時代には「日本(にほん)紀講(ぎこう)筵(えん)」という講義・研究会も催されていました。『記』では読めない神話や伝承が多彩に織り込まれた『紀』は神道・神話の多様性を語る上で重要な示唆に富んでいると言えます。
成立一三〇〇年を機に、是非一度『日本書紀』に親しんでみては如何でしょうか。