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いつの間にか、今年も半分終わろうとしています。新型コロナウィルスの関係で、この半年間落ち着かない日々を過ごされた方も多いのではないでしょうか。6月30日には、全国の神社で夏越の祓が行われます。半年の節目に、罪穢れや災厄を祓って、気持ちも新たに残りの半年を乗り切りたいものですね。京都では、和菓子の水無月や茅の輪くぐりなど一般的な行事ですが、あまりなじみがない方も多いと思います。30日に先立ち、心游舎では6月28日にオンラインで夏越の祓のお話をいたします。ご興味のある方はぜひご参加くださいませ。
今回のコラムは、夏越の祓の際に神職の方が着ておられる装束のお話。執筆者はもちろん黒田基起さんです。奥深い装束の歴史は語りつくせないものがあり、続きは次回に持ち越しとなりました。次回の投稿が今から楽しみです。
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「装束の歴史」
歴史の教科書に載っているような偉人が着ている「装束」に注目したことはあるでしょうか。
教科書に載る平安・鎌倉時代の多くの偉人は身分が高く、男性は「束帯」、女性は「十二単」がイメージにあると思います。なぜなら、装束というのは平安貴族(公家)社会の男女の着衣のことであり、庶民の着衣などは装束ではないからです。さらに、武士が活躍する戦国時代までは日本は王朝文化であったため、装束を着た偉人が多く記載されているのです。
和服でさえ日常的には見かけなくなった現代、装束などは遠い昔のように思われるかもしれません。今回は、そんな非日常の日本の伝統文化「装束の歴史」をご紹介したいと思います。
日本に大和朝廷が誕生し、当時の朝廷は大陸の様式を手本とし様々な制度が整えられていきました。服制もまた同様に整えられました。
608年に聖徳太子が定めた「冠位十二階」。これは頭にかぶる「冠」の色によって位を表すという決まりです。以来、身分によって用いることのできる装束が厳しく規定されることとなりました。
そして701年に制定された大宝律令や757年に制定された養老律令。これにある「衣服令(いふくりょう)」という規定が公家装束の原点となります。これは公家装束のルールのようなもので、装束の大まかな構成と着用する身分と機会が記されています。詳しい構成と着用する身分や機会については、長くなるため説明を省きますが、これまで冠で表示されていた身分が、服装全体でこまかく表示されるようになり、装束というものが成立したのです。
以上、装束の成り立ちを知っていただけたでしょうか。
「装束の歴史」と書きながら、成り立ちまでしかご紹介できませんでしたが、国際化が進む現代において、日本の固有の文化を知っておくことがこの国際社会で生きる上で、なにか良いヒントになるかもしれません。是非、偉人の装束にも注目して見てみてください。