今回のコラムは、九谷焼の上出長右衛門窯の上出惠悟さんが書いてくださいました。上出さんのクタニシールの飯碗や湯呑作りのワークショップは、心游舎でも大人気です。
上出さんが作られる作品は、磁器でできた実物大のバナナ、UFO型の急須、ラジカセを担いだ笛吹の湯呑など、ユーモアにあふれたものが多いのですが、おじいさまの「会話の生まれる器」を作るという教えがあったからなのだろうと思います。
皆さんが作られたクタニシールの器が、食卓の会話のきっかけの一つになっていたら、とてもうれしく思います。
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「九谷焼の特徴とは何か?」とよく訊かれます。金沢の専門店に入ってみても、五彩や染付、赤絵、金襴など一見して決まった様式がなく、はてなと思う方がいるのは無理もありません。ここでは詳しく取り上げることはできませんが、謎多き古九谷の断絶、江戸や京都から画工を招聘し、時代の流行を取り入れ興廃を繰り返して来た歴史に因るものです。現在、私たちの産地にはそれらの多様な技法や画風とともに、「九谷は絵付を離れず」という言葉が残されています。その言葉通り九谷焼は、如何にして器物に絵を描くかということに専心して来ました。分業された素地や釉薬作り、窯焚きなどの全ての工程は、絵付という晴れの舞台へ役者を送り出す裏方のような仕事と言えます。
しかし、様々な色やイメージに溢れた現代の暮らしにおいて、器に描かれた絵を能く能く眺める人がどれ程いるでしょうか。絵皿を愉しむ眼や心は、四角い画面が日々映し出す電影の誘惑に奪われてしまったのかも知れません。
かつて、祖父がよく「会話が生まれる器を作りたい」と話していました。私はずっとその言葉を理解することができずにいましたが、ある時金沢の茶寮で、隣に座った見知らぬ男女がお茶を啜りながら、手に持つ茶碗の絵について話しているのを耳にしたのです。その茶碗は私の家で古くより作られているもので、その話題は絵の印象を語り合う些細なものでしたが、とても穏やかな空気が流れていました。それは将に祖父の願っていたことであり、偶さかその場所に立ち会った驚きと同時に、古色蒼然と感じていた茶碗の絵が、私の中で活き活きと動き始めた瞬間でもありました。
盃に酒を注ぐと見込みに描かれた龍が嬉々として動き出すという噺を聞いたことがあります。酔っ払いの戯言と思われるかも知れませんが、時に四角い画面を暗くして、食卓に並ぶ器の中を覗いてみると驚くべき世界の入り口が待っているかも知れません。