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梅雨の走りのような雨が全国的にも降っているようですね。天神さんの梅林もそろそろ梅の摘みどきを迎えているようです。梅雨と言う名の通りの時期だなぁと毎年思います。梅酒や梅シロップを漬けて、飲みどきになるのは、梅雨明けの頃。今年の夏は、祇園祭の巡行も五山の送り火も開催予定と発表され、待ち遠しく思います。
今回のコラムは、六花亭新社長で心游舎理事の小田文英さんです。北海道の新緑の便りを届けてくださいました。六花亭の包装紙でもおなじみのオオバナエンレイソウは、北海道の春の終わりのお知らせを持ってきてくれる花なのでしょうか。
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『色づく春』
北海道にも新緑の季節がやってきました。私が所属している会社で運営している六花の森は、この季節、オオバナエンレイソウが緑の中に白を添えてくれます。今年は、この白色が一層、純粋なものに感じます。
というのも、昨年の11月、暴風が吹き荒れた日があり、数十本の木がなぎ倒される事態となりました。冬支度のために閉園しており、お客様がいなかったのは、不幸中の幸いでした。が、元の状態に戻るのだろうか、と不安が棘として胸に刺さったまま、冬を過ごすこととなりました。冬の厳しい中、倒木を切って搬送を繰り返し、雪が解けたら、地面に散乱する枝を寄せ集めては撤去。そんな地道な努力を社員が重ねてくれて、今年も無事開園に漕ぎつけ、そして、可憐な花を咲かせてくれました。
そんな折に、染色家の人間国宝、志村ふくみさんの「色を奏でる」という本と出会いました。色は生命をいただいてできているという言葉が心に残っています。そして、色は、どこにあるものだろうかと考えさせられます。そこにある物質が持つものが色、というのもその通りですが、その色味の感じ方は、人によって異なる。そう考えると、色の奥には見ている自分の心が重なっているのではないか。そんな思いを抱きました。
そう考えると、いつもと同じオオバナエンレイソウの白い花弁が、今年、違って見えるのは、心が近寄ったからかな、なんて情緒を感じながら、六花の森を後にしました。
志村ふくみさんの著書を読み進めるうちに、数多くの気付きと疑問を感じました。今は片仮名の色が数多くあるけれども、日本名の色と同じなのだろうかという問い。例えば、オレンジ色と橙色。同じものとして、認識していますが、本当に同じなら、片方が言葉として廃れていてもおかしくないはず。色の規格次第で同じとされることもありますが、オレンジ色の方が橙色よりもわずかに赤味が強い。そんな違いもありますし、何よりも言葉の響きとして、感じる違いがあるのではないでしょうか。昔から日本語として使われている橙色という言葉。そこから私たちの心に届く印象。そして、それが反映された自分が認識する色味。それはオレンジ色と違っているのではないか。そんな思いを馳せながら、読み終えています。
古来から、日本では無数の色味を感じ、扱ってきました。オレンジ色という言葉を排する必要はなくても、橙色をもっと使い、使い分けることで、私の生活や感じ方が豊かになるのではないか。
そんな色づき始めた春を過ごしています。