週末には寒の戻りもあるという話ですが、だいぶあたたかくなってきましたね。桜のつぼみも膨らんできたような気がします。花粉症の方たちにはつらい季節の到来でしょうか。
今の時期はちょうど梅と桜の境目の時期。「梅香を桜の花に匂わせて柳の枝に咲かせたい」という歌がありますが、そんな理想が叶ってしまったら、逆に季節の移り変わりを楽しめる日本の良さがなくなってしまうかもしれないなとも思います。
今回のコラムは、学習院大学史料館研究員、じゅんじゅんさんこと、田中潤さんによる桜のお話です。桜が咲くのが待ち遠しくなってしまいますね。
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鎮花祭
「世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし」。かの在原業平の心をも掻き立てた桜が、春を彩る季節となった。私にとって今年はとりわけ桜の開花が待ち遠しい。その原因は、我が家の花がつかない枝垂桜である。「成人式の頃にはこの木の下でお花見ができるよ」と、縁日で植木屋さんに言われ、小さな肩で担いで持ち帰った我が家の枝垂れ桜。日当たりもよく、枝ぶりも良いのに二度目の成人式の齢を過ぎても毎年花は数輪で、とてもお花見とはいかない。
数年前に妹が求めてきた瀧桜は毎年爛漫と咲き誇り、ご近所のお花見コースになっている。お花見をして深酒をしないように気を遣っているのかしら?などとも思いつつ、ふと、今年の寒の内に植木屋さんにその話をしてみた。開口一番、「肥料やってる?」とのお返事。「え!桜にも肥料いるんですか!」と答えるのがやっとであった。約一時間、親方から各地の名桜の手入れに関する蘊蓄を拝聴し、その後しっかり枝垂桜の根元に肥料を埋け込んで貰ったのだった。
旧暦の三月、桜の花の咲くこの時期は、人も植物も活動的になるのと同じように、疫病も流行する時期とされてきた。病をもたらす疫病神が散りゆく桜の花弁とともに拡散すると考えられていたことから、桜の花が一日でも長く咲き、疫病が流行らないようにと、人々の安寧を祈る祭りが古くから行われてきたのである。鎮花祭と書いて、「はなしずめのまつり」と読むこのお祭りは、古代から奈良県の大神神社(おおみわじんじゃ)とその摂社の狭井神社(さいじんじゃ)で行われ、今日に継承されている。また春日大社の摂社水谷神社(みずやじんじゃ)で行われる鎮花祭では、神前に咲き誇る桜の花が供えられ、神職さんにより狂言が奉納されて、穏やかな生活が続くことを祈られる。
コロナ禍も三年目を迎え、今年こそ咲き誇ってくれるであろう枝垂桜の花々に、よく咲いてくれたねとの言葉をかけて一献手向け、コロナ禍の終息と、世の平安を祈る春にしたいと思う。