お正月行事も一段落。「正月ボケ」などとも言っていられないような、せわしない世情ですね。2年もこのような状況が続くと、コロナ禍が始まる前の生活ってどんな感じだったかな?と思ってしまったりもしますが、一日も早く穏やかな日常が戻ることを祈るばかりです。
心游舎では、「年中行事を大切にする」ことを伝えることを目標にこの二年間やってまいりました。年中行事を大切にすることが日本文化を大切にすることに直接つながっているからです。節目節目にある行事を行わないまでも、意識することで、1年の生活の中にメリハリが出てきます。それが生活の中にリズムを作り、正月ボケや五月病なども防いでいくのではないかと思っています。
今回のコラムは、心游舎の新理事の倉嶋慶秀さん。倉嶋さんはお坊さんですが、幼稚園の園長先生でもあります。心游舎代表理事のモミゾーの経営者仲間ですね。これからどんな形で心游舎と関わってくださるのかとても楽しみです。今回は、お坊さんらしく、仏教行事のことを書いてくださいました。聞いたことはあるけれど、どんなものかはあまり知らない人が多いのではないかと言う行事。興味深いですね。
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京都の東寺で行われている後七日御修法(ごしちにちみしほ)。ご存じでしょうか。
真言宗(しんごんしゅう)の開祖である弘法大師(こうぼうだいし)空海(くうかい)が宮中真言院で始めた正月の行事です。
弘法大師(空海)ついて、触れてみます。弘法大師(空海)は、来年で生誕1250年を迎えます。幼少期を今の香川県善通寺市で過ごし、勉学に励み、両親や親戚から大きな期待を背負い大学に入りますが、困っている人を助けたい、悩んでいる人を救うために、仏教を学びたいという思いで、僧の道に進むことを決意しました。
その後、31才のときに遣唐使として、雨風にうたれ命からがら、唐へたどり着きました。インドから三蔵法師のモデルになった玄奘によって中国へ伝わった仏教は、恵果阿闍梨に脈々と伝わり、弘法大師(空海)は真言密教の伝授を受けます。
2年後に帰国した弘法大師(空海)は、各地で修行や布教を行い、810年に嵯峨天皇の書を受けて真言密教の布教を正式に許され、835年御入定されるまで、様々な活動をされ、日本文化や著書などにおいても活躍されました。
そして、本題の「後七日御修法」ですが、元々は、不空三蔵という唐にいた密教の僧侶が始めた修法で、我が国では、承和元年(834年)、仁明天皇が弘法大師の進言により、弘法大師を大阿闍梨とし玉体安穏(天皇陛下と国家安寧)、五穀豊穣、世界平和、鎮護国家などを祈願するために始まりました。
御修法は、宮中で元日から7日までの間に様々な神事が行われ、その後の8日から14日までの7日間に仏事での修法が行われたことから後七日御修法と言われています。
後七日御修法は真言宗の最高の儀式とされています。真言宗の各総大本山の猊下・化主・門跡など15名の高層が出仕し、配役が割り振られます。大阿闍梨が成就を祈念して増益と息災の護摩が焚かれ、五大尊と十二天を拝みます。さらに、仏果が倍増するよう聖天を拝み、諸仏諸菩薩から洩れた諸尊を供養するために神供が修法されます。そして、天皇陛下の念持仏であった二間観音を拝むことで、一連の御修法が完成されます。
この時、天皇陛下の御意と香水(こうずい)が加持されます。これは、天皇陛下がお通しになる御衣を祈祷することにより、陛下が安穏でいて、ひいては国家が安寧でいられることを願っています。
日本の文化や歴史の中で、神事仏事は共にいつの時代も玉体安穏、鎮護国家、五穀豊穣などのために、祈願祈祷を行って参りました。
御修法においては、今までに諸問題で開催出来ないこともありましたが、約1200年という非常に長い年月、脈々と受け継がれ、厳かに執り行われていることに感動します。
今年一年、すべての皆様がご健康で穏やかな一年になることを。心からお祈りしています。